漱石枕流
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「wikt:漱石枕流」も参照 孫楚という男は、ある日友人(王済)に相談を持ちかけた。自分は役人だが、俗世間の煩わしさにほとほとうんざりしており、竹林の七賢のような、俗世間を離れた暮らしをしたいと持ちかけ、思わず「石に漱ぎ、流れに枕す」ような暮らしをしたいと告げた。すると友人が笑って、「それを言うなら、石に枕し、流れに漱ぐ(すなわち、石を枕にして、水の流れで口を漱ぐような自然と一体になった暮らしをすること)じゃないか」と突っ込まれる。すると、学問にプライドを持っていた男は思わず、「いや、それで間違っていない。石に漱ぎとは石で歯を磨いて、流れに枕するとは、俗世間の煩わしさも含め、全て水で洗い流すことだ」と言い張った。 そこから、常に意地っ張りなことを漱石枕流、「石に漱ぎ、流れに枕する」というようになった。明治時代の作家、夏目漱石の名前もこの故事に因むといわれている。
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漱石枕流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 05:18 UTC 版)
『晋書』、『世説新語』俳調編などに、若き日の孫楚の逸話が伝わっている。 孫子荊(孫楚)がまだ仕官する前、王武子(王済)に対して隠遁したいと思い「石を枕にして、川の流れで(口を)漱ぎたい(枕石漱流、そのような自然の中での暮らしの意味)」と言おうとしたところ、うっかり「石で漱ぎ、流れを枕にしたい(漱石枕流)」と言い間違えてしまった。すかさず王武子に「流れを枕にできるか、石で口を漱げるか」と突っ込まれると、孫子荊は「枕を流れにしたいというのは、汚れた俗事から耳を洗いたいからで、石で漱ぐというのは、汚れた歯を磨こうと思ったからだよ」と言い訳し、王武子はこの切り返しを見事と思った。感心する意味で「流石」と呼ぶのは、この故事が元という説があるという。 孫楚の言い訳は、かつて隠者の許由が、帝位を譲ろうとした堯の申し出を断った後、「汚らわしいことを聞いた」と耳を漱いだ故事を踏まえたものといわれている。 また、日本の明治時代の小説家の夏目金之助の号である漱石は、孫楚の故事に由来する。 同じく『世説新語』によると、孫楚は他人に頭を下げることのできない人物だったが、ただ王済には敬服していた。王済に先立たれると、葬儀には遅れて現れたが、棺にすがって慟哭する様に、参列者はみな涙を流した。孫楚は「生前君は私の驢馬の鳴きまねがうまいのをほめておられたから、今生の別れに一つやってみよう」と言い、鳴きまねをしてみせると、それが本物そっくりだったので、参列者達は笑った。孫楚は参列者をにらみつけ、「このような立派な人が先だって、おまえたちのような奴らが生き残るとは」と言ったという。
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