源宗寺を建立、所有した藤井家
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「源宗寺 (熊谷市)」の記事における「源宗寺を建立、所有した藤井家」の解説
源宗寺は江戸時代初期から後期にかけて、武蔵国埼玉郡平戸村の名主を務めていた藤井家の手によって建立された。藤井家の祖に当たる雅楽助は、肥前国松浦郡平戸の出身と伝えられており、平戸出身者である雅楽助にちなんで「平戸」という地名が名付けられたとの説がある。 1608年(慶長13年)、雅楽助は検地のために平戸村にやって来た役人の案内役を務めたことが記録に残っている。村内の有力者であった雅楽助は、源宗寺の建立の他、肥前国松浦郡平戸から住吉大明神を勧請し、平戸の氏神として他国明神社を建立したと伝えられている。 やがて藤井家の当主は平戸村の名主を世襲するようようになった。平戸村は17世紀、忍藩、幕領、幕領と旗本領との相給、そして再び忍藩領と支配関係が目まぐるしく変遷したが、変わることなく名主職を務め続けた。18世紀前半の享保年間には、藤井家は平戸村全体の約4分の1の土地を所有する大地主となった。 18世紀半ば過ぎの明和年間には、年貢完済に苦労するようになるなど、家勢に衰えも見られるようになったが、19世紀の文化年間までは平戸村で10町以上の土地を所有する、村内随一の大地主の地位を保ち続けた。しかし1831年(天保2年)には永年勤めてきた名主職を他家に渡すことになり、その後は百姓代を務めるようになった。また藤井家は18世紀末からは水車を使用した事業を行っていた。水車は1932年(昭和7年)に解体されたが、1955年(昭和30年)頃までは製麺所の経営を続けていた。 江戸時代以降、源宗寺は建立者である藤井家が寺の所有、管理を行い続けていた。2019年現在、寺の本堂は源宗寺護持会が所有し、藤井家は管理者代表を務めている。
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