源宗寺を建立、所有した藤井家とは? わかりやすく解説

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源宗寺を建立、所有した藤井家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 09:08 UTC 版)

源宗寺 (熊谷市)」の記事における「源宗寺を建立、所有した藤井家」の解説

源宗寺江戸時代初期から後期にかけて、武蔵国埼玉郡平戸村名主務めていた藤井家の手によって建立された。藤井家の祖に当たる雅楽助は、肥前国松浦郡平戸出身伝えられており、平戸出身者である雅楽助にちなんで「平戸」という地名名付けられたとの説がある。 1608年慶長13年)、雅楽助検地のために平戸村にやって来た役人案内役務めたことが記録残っている。村内有力者であった雅楽助は、源宗寺建立の他、肥前国松浦郡平戸から住吉大明神勧請し平戸氏神として他国明神社建立した伝えられている。 やがて藤井家当主平戸村名主世襲するようようになった。平戸村17世紀忍藩幕領幕領旗本領との相給、そして再び忍藩領と支配関係目まぐるしく変遷したが、変わることなく名主職務め続けた18世紀前半享保年間には、藤井家平戸村全体の約4分の1土地所有する大地主となった18世紀半ば過ぎ明和年間には、年貢完済苦労するうになるなど、家勢衰え見られるようになったが、19世紀文化年間までは平戸村10町以上の土地所有する村内随一大地主地位保ち続けた。しかし1831年天保2年)には永年勤めてきた名主職他家に渡すことになり、その後百姓代務めようになった。また藤井家18世紀末からは水車使用した事業行っていた。水車1932年昭和7年)に解体されたが、1955年昭和30年)頃までは製麺所経営続けていた。 江戸時代以降源宗寺建立者である藤井家が寺の所有管理行い続けていた。2019年現在、寺の本堂源宗寺護持会が所有し藤井家管理者代表を務めている。

※この「源宗寺を建立、所有した藤井家」の解説は、「源宗寺 (熊谷市)」の解説の一部です。
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