清朝期
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清の時代には彼ら漢族化したムスリムは漠然と「回民」あるいは「漢回」などと呼ばれていた。清の末期には回民蜂起が各地で発生した。1855年から1873年にかけては雲南省でパンゼーの乱が発生。1862年からは陝西省・甘粛省で回民のドンガン人の蜂起が発生している。こうした回民蜂起を契機に、1860年代には、新疆でヤクブ・ベクの乱が発生、ヤクブ・ベクは一時的に政権を樹立した。 清に鎮圧されたのち回民の一部はロシア帝国領に渡って中央アジアに定住した。彼らの子孫はドンガン人(東干人)と呼ばれる民族集団となって現在もカザフスタンやキルギスに居住している。
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清朝期
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東北陸軍講武堂の前身は1906年に清朝の盛京将軍趙爾巽が創立した盛京講武堂である。1907年に盛京将軍が東三省総督に改名されて初代総督として袁世凱の肝煎りで徐世昌が着任してくる。徐世昌は袁世凱の北洋軍閥の強大化を図るために、1908年8月に盛京講武堂を東三省講武堂と改名、奉天陸軍小学堂房舍内に移転させ更に拡充を行った。 1911年に辛亥革命が勃発すると、奉天では革命軍の北伐に備える必要があったため、東三省講武堂は一時閉鎖になる。しかし1912年2月、再登板していた趙爾巽と中華民国政府の間で和議が成立し、東三省講武堂は再度開校する。だが、結局1915年に閉鎖される。
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