法住寺殿襲撃とは? わかりやすく解説

法住寺殿襲撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:39 UTC 版)

源義仲」の記事における「法住寺殿襲撃」の解説

詳細は「法住寺合戦」を参照 11月19日追い詰められ義仲法住寺殿襲撃する。院側は土岐長・光父子奮戦したが、義仲軍の決死猛攻前に大敗した義仲士卒は、御所から脱出しようとした後白河法皇捕縛し歓喜の声を上げた(『玉葉同日条)。義仲法皇五条東洞院摂政邸に幽閉する。この戦闘により明雲円恵法親王戦死した九条兼実は「未だ貴種高僧かくの如き難に遭ふを聞かず」 と慨嘆している。義仲天台宗の最高の地位にある僧の明雲の首を「そんな者が何だ」と川に投げ捨てたという。20日義仲五条河原に光長以下百余の首をさらした21日義仲松殿基房(前関白)と連携して世間の事殿に申し合はせ、毎事沙汰を致すべし」 と命じ22日、基房の子師家内大臣摂政とする傀儡政権樹立した『平家物語』義仲が基房の娘(藤原伊子とされる)を強引に自分の妻にしたとするが、実際に復権目論む基房が義仲手を結び、娘を嫁がせたと見られる11月28日、新摂政松殿師家下文出し、前摂政近衛基通家領八十余所義仲与えることが決まり中納言藤原朝方以下43人が解官された。12月1日義仲は院御厩別当となり、左馬頭合わせて軍事全権掌握する10日には源頼朝追討院庁下文発給させ、形式的に官軍体裁整えた

※この「法住寺殿襲撃」の解説は、「源義仲」の解説の一部です。
「法住寺殿襲撃」を含む「源義仲」の記事については、「源義仲」の概要を参照ください。

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