治世・モンゴル本土の後継闘争と対外政策とは? わかりやすく解説

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治世・モンゴル本土の後継闘争と対外政策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 14:30 UTC 版)

ベルケ」の記事における「治世・モンゴル本土の後継闘争と対外政策」の解説

1259年モンケ合州親征中に陣没し、次代モンゴル帝国皇帝カアン)の位をめぐり弟のクビライアリクブケとの間に後継闘争始まったベルケいちはやくクビライアリクブケ双方使者派遣し中立立場をとった。しかし、アリクブケの意を汲んで中央アジア派遣されて来たチャガタイ家アルグは、アムダリヤ川境域守護しジョチ・ウルスフレグ西征軍クビライ側へ物資供給がされないように監視命じられていた。ベルケ基本的にアリクブケ帝位継承認めていたものの、実際にクビライアリクブケ双方中立的立場守っていたようで、アリクブケ側からクビライとの紛争中は少なからず警戒されていたようである。 一方ジョチ・ウルスバトゥ主導によってフレグ西方遠征にも親族幾人派遣していた。すなわち長兄オルダ次男クリ1万戸ともに派遣し、弟であるシバンの四男のバラカン、同じくボアル次男のミンカダルの子のトカル(ノガイ従兄弟)などであったモンケ没後混乱ベルケ西征軍参加していたジョチ家王族回収行っている。1256年フレグ遠征従軍中のバラカンがフレグ呪詛たらしいという事件が起った。バラカンは捕縛されベルケのもとに送還されたが、この時の査問でバラカンは呪詛した罪を認めたため、裁定フレグ一任して彼をフレグのもとに送り返したこのためバラカンは処刑されたが、さらにこの直後クリとトカルまで急死した2人不審死毒殺だという噂が流れたため、フレグジョチ・ウルスとの間に深刻な対立根付いてしまった。あるいはアイン・ジャールートの戦い敗北の後の宴席でバラカンが急死し、これを毒殺疑ったトカルがフレグ呪詛したためベルケのもとに送られ再度フレグによって1260年2月2日処刑されクリ急死したともいわれる。 そして1262年9月ベルケがトカルの従兄弟ノガイ指揮官とする3万騎アゼルバイジャン経由侵攻させると、3人の王族たちの家族軍民カフカスホラーサーン方面からキプチャク草原逃走し、ネグデル(英語版率い一部アフガニスタンインド境域地域占領した。 この混乱期に彼はアゼルバイジャン地方帰属巡ってフレグ西征軍対立しカスピ海東南方面において盛んに軍を派遣してフレグおよびアバカ指揮する西征軍との戦闘くり返した(ベルケ・フレグ戦争英語版))。 マムルーク朝側の記録によればベルケ一連の事件からフレグ西征軍中のジョチ家軍民ジョチ・ウルスへの直接帰還かなわない場合マムルーク朝側に一旦亡命するよう指示出していたため、1261年に4名の百戸長がカイロ訪れたという。マムルーク朝のスルターン・バイバルスは彼らを歓待して金品兵馬下賜し、ベルケとの同盟見込んで1262年初冬クリミア半島経由ジョチ・ウルス使節派遣した。こうして幾度か使節応答が行われ、マムルーク朝イラン方面からのモンゴル逃亡兵たち避難先として機能するようになった1265年カフカス山脈東端デルベント派遣したノガイが、アバカの弟のヨシムト(フレグ三男)に惨敗したことを機にアゼルバイジャン征服企図して親征した。しかし、グルジア首都ティフリス渡河するためクル川遡っていた途上病没する。ジョチ・ウルス諸軍撤退しベルケバトゥ・サライ運ばれ、そこで埋葬された。 彼は新サライ建設したことでも有名である。これをベルケ・サライと呼ぶ。『集史』によるとベルケには息子がいなかったと記録されているが、娘もいなかったかは述べられていない彼の死後モンケ・テムルが後を継いだ

※この「治世・モンゴル本土の後継闘争と対外政策」の解説は、「ベルケ」の解説の一部です。
「治世・モンゴル本土の後継闘争と対外政策」を含む「ベルケ」の記事については、「ベルケ」の概要を参照ください。

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