民連結成、那覇市議選
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「民主主義擁護連絡協議会」の記事における「民連結成、那覇市議選」の解説
1956年10月26日に急逝した比嘉秀平行政主席の後任に、当間重剛那覇市長が任命されたため行われた1956年12月25日投票の那覇市長選挙にて人民党公認候補の瀬長亀次郎が当選した。 ※当日有権者数:60,580人 最終投票率:68.44%(前回比:+17.56pts) 候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持瀬長亀次郎 沖縄人民党 新人 16,592票 % 社大党那覇支部 仲井真宗一 当間派 新人 14,648票 % 仲本 為美 旧二日会 元職 9,802票 % 出典:過去の(那覇)市長選の記録 (PDF) .那覇市選挙管理委員会 米国民政府は、この結果に強い衝撃を受け、琉球銀行を通じて那覇市への融資を凍結したり、那覇市への補助金を打ち切るなどの市政妨害工作を行った。那覇市議会の反瀬長派議員(当間派)は瀬長市長の辞任を要求、不信任は時期尚早と考えていた反当間派議員(旧二日会)の切り崩しを図った上で、1957年6月17日に圧倒的多数(24対6)で市長不信任案を可決した。瀬長市長は市議会の解散で対抗し、8月4日に市議会議員選挙が行われることになった。 この市議会議員選挙において、人民党は広範な勢力を結集して勝利する方針をたて7月7日に民連を結成、人民党6名、社大党那覇支部3名、人民・社大両党推薦1名、不信任案に反対した旧二日会議員3名の計13名からなる市議候補を民連候補として擁立した。一方、反瀬長派(琉球民主党・社大党本部・当間派)は7月3日に那覇市政再建同盟(以下、再建同盟)を結成、不信任成立に必要な20名を上回る28名の候補者を擁立して選挙に臨んだ。選挙の結果、民連が12議席(人民党6・社大党2・無所属4)、再建同盟が17議席、中間派は1議席となった。この結果、再建同盟は不信任案の再可決に必要な3分の2以上をとることに失敗し、民連が事実上の勝利を収める結果となった。
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