民連結成、那覇市議選とは? わかりやすく解説

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民連結成、那覇市議選

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 08:59 UTC 版)

民主主義擁護連絡協議会」の記事における「民連結成、那覇市議選」の解説

1956年10月26日急逝した比嘉秀平行政主席後任に、当間重剛那覇市長が任命されたため行われた1956年12月25日投票那覇市長選挙にて人民党公認候補瀬長亀次郎当選した。 ※当日有権者数:60,580人 最終投票率:68.44%(前回比:+17.56pts) 候補者年齢所属党派新旧得票数得票率推薦支持瀬長亀次郎 沖縄人民党 新人 16,592票 % 社大党那覇支部 仲井真宗一 当間新人 14,648票 % 仲本 為美 旧二日会 元職 9,802票 % 出典過去の(那覇市長選記録 (PDF) .那覇市選挙管理委員会 米国民政府は、この結果に強い衝撃を受け、琉球銀行通じて那覇市への融資凍結したり、那覇市への補助金打ち切るなどの市政妨害工作行った那覇市議会の反瀬長議員当間派)は瀬長市長辞任要求不信任時期尚早考えていた反当間派議員(旧二日会)の切り崩し図った上で1957年6月17日圧倒的多数24対6)で市長不信任案可決した瀬長市長市議会解散対抗し8月4日市議会議員選挙が行われることになった。 この市議会議員選挙において、人民党広範な勢力結集して勝利する方針をたて7月7日民連結成人民党6名、社大党那覇支部3名、人民・社大両推薦1名、不信任案反対した旧二日会議員3名の計13からなる市議候補民連候補として擁立した一方、反瀬長派(琉球民主党社大党本部当間派)は7月3日那覇市再建同盟(以下、再建同盟)を結成不信任成立必要な20名を上回る28名の候補者擁立して選挙臨んだ選挙の結果民連12議席人民党6・社大党2・無所属4)、再建同盟17議席中間派は1議席となった。この結果再建同盟不信任案再可決必要な3分の2以上をとることに失敗し民連事実上勝利を収める結果となった

※この「民連結成、那覇市議選」の解説は、「民主主義擁護連絡協議会」の解説の一部です。
「民連結成、那覇市議選」を含む「民主主義擁護連絡協議会」の記事については、「民主主義擁護連絡協議会」の概要を参照ください。

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