民連内の対立激化と活動停止とは? わかりやすく解説

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民連内の対立激化と活動停止

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 08:59 UTC 版)

民主主義擁護連絡協議会」の記事における「民連内の対立激化と活動停止」の解説

1958年1月那覇市長選以降急速に組織拡大され3月立法院選挙でも一定の成果納めた民連であるが、兼次那覇市長の変節社大党から離脱した人々社会党結成して後に民連から離脱したことで、活動陰り見え始めた兼次那覇市長は就任後初の記者会見で「市長として何から何まで民連支持受けない」と表明した。更に3月市議会市政運営にあたって超党派的態度臨みたい」と答弁徐々に民連とは距離を置くようになり、アメリカ軍親米勢力すり寄る態度示した。そして兼次1958年2月16日社大党脱党して民連参加した人々中心に社会党結成したが、民連への正式加盟はしなかった。民連内部はこうした兼次変節への対処について人民党社会党との間で大きな食い違い生じようになった。この対立は、9月22日行われた兼次市長市政報告演説会市長変節抗議する聴衆からのヤジによって大混乱となったことで激化し1959年には民連としての組織的活動出来ない状況陥った1960年4月第4回総会が行われたが、その後組織的活動停止した

※この「民連内の対立激化と活動停止」の解説は、「民主主義擁護連絡協議会」の解説の一部です。
「民連内の対立激化と活動停止」を含む「民主主義擁護連絡協議会」の記事については、「民主主義擁護連絡協議会」の概要を参照ください。

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