民主党予備選出馬候補
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「1988年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事における「民主党予備選出馬候補」の解説
民主党は1984年の選挙で、ニューディール政策以来の伝統的なリベラル派 であるウォルター・モンデールを大統領候補に指名したが、共和党の現職であったレーガンの前に大敗を喫した。このため民主党指導部は、大統領選に勝利するために新しい手法を模索していた。当初彼らは、1986年の中間選挙ではイラン・コントラ疑惑によるレーガン政権のイメージ低下もあって大きな支持を集め、6年ぶりに共和党から上院での過半数を取り戻したこともあり、今回の大統領選挙の戦局についてやや楽観的になっていた。大統領候補として名乗りを上げたのは以下の人物である。 ブルース・バビット、前アリゾナ州知事 ジョー・バイデン、デラウェア州選出上院議員(後の第46代大統領) マイケル・デュカキス、マサチューセッツ州知事 リチャード・ゲッパート、ミズーリ州選出下院議員(下院院内総務、保護貿易論者) アル・ゴア、テネシー州選出上院議員(後の副大統領) ゲイリー・ハート、コロラド州選出前上院議員 ジェシー・ジャクソン、市民権活動家(黒人) パトリシア・シュレーダー、コロラド州選出下院議員 ポール・サイモン、イリノイ州選出上院議員 1987年初頭の時点では、上院議員のゲイリー・ハートが出馬を表明していた候補の中では明らかな先行候補であった。(民主党はこのほか、ニューヨーク州知事のマリオ・クオモも候補として考えていた) ハートには、1984年の大統領選挙の際に民主党の予備選挙を戦った経験があり、そのことも彼を有利にしていた。しかしハートは、マイアミ・ヘラルド紙に女性スキャンダルをスクープされたことにより世論調査での支持率が急落、1987年5月には選挙キャンペーンからの撤退を迫られている。この後ハートは、1987年12月に電撃的に予備選レースに復帰したものの、スキャンダルによるイメージ失墜は致命的であり、結局再撤退を余儀なくされた。 マサチューセッツ州選出の上院議員であるエドワード・ケネディも有力候補と見られていたが、1985年には出馬を辞退している。また、デラウェア州選出の上院議員であるジョー・バイデンも、イギリス労働党のニール・キノック党首のスピーチを盗用した疑惑などが問題となり、1987年9月に選挙戦から撤退した。 初戦のアイオワ州では、ゲッパートがトップ、サイモンが2位、デュカキスが3位だった。ニューハンプシャー州ではデュカキスがトップ、ゲッパートが2位、サイモンが3位だった。デュカキスとゴアはゲッパートに対するネガティブキャンペーンを行なった。 全米自動車労働組合がゲッパートへの支持を取りやめたことにより、労組を主な支持母体としていたゲッパートは大きく後退することになる。 ゴアとジャクソンは南部諸州を主な地盤としており、スーパー・チューズデーの選挙戦で、デュカキスは6州、ゴアは5州、ジャクソンは5州、ゲッパートは1州で勝利した。翌週、イリノイ州ではサイモンが勝利した。最終的にデュカキスが勝利し、アトランタで開かれた民主党全国大会において、大統領候補に選出された。 マイケル・デュカキス 2,687 ジェシー・ジャクソン 1,218 ジョー・バイデン 2 リチャード・ゲッパート 2 ゲーリー・ハート 1 ロイド・ベンツェン 1 ジェシー・ジャクソンを副大統領候補としようとする動きもあったが、デュカキスはそれを拒否、ロイド・ベンツェンを副大統領候補に選んだ。
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