しっ‐つい【失墜】
失墜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 18:05 UTC 版)
皇帝に選出されてすぐに、エウゲニウスは伝統に従いテオドシウスの宮廷に使者を送って承認を求めた。テオドシウスは一応謁見はして贈物と偽りの承認を与えたものの、エウゲニウスを打破するための軍勢を召集しはじめた。さらにテオドシウスは、エウゲニウスに対抗させるため、翌393年1月に自分の息子ホノリウスに西の正帝としての称号を授けた。また、ウァレンティニアヌス2世を自殺に追い込んだか殺害した疑いがアルボガステスにはかけられたが、3ヶ月の空白期間にテオドシウスがなんら行動を起こしていないことからも、殺害容疑はアルボガステスとの対立が明らかとなったのちに加えられた罪状と推定されている。 その後テオドシウスはコンスタンティノープルから軍隊を率い、フリギドゥス河畔でエウゲニウス・アルボガステスらの率いる西ローマ帝国軍と対峙し、394年9月5日に「フリギドゥスの戦い」 (Battle of the Frigidus) として知られる会戦がはじまった。隘地に籠城する西ローマ帝国軍を圧倒的な大兵力を擁した東ローマ帝国軍が包囲する形であった。 初日は、怒りに駆られたため数に任せて無策な攻撃を仕掛けたテオドシウスに対し、老練な指揮官であり、そのうえ降伏して許しを乞う余地のなかったアルボガステスが善戦した。しかしその日の夜には、アルボガステス旗下の将校数人が身の安全の保証と引き換えにテオドシウス側へ寝返ると申し出た。さらに戦闘2日目には突如として猛烈な突風が巻き起こった。アルボガステス軍は放った矢が自陣へ吹き戻され、砂塵で前が見えなくなるほどであったと伝えられている。この強い追い風によって勢いづけられたテオドシウス軍が攻勢に立ち、西ローマ帝国軍は壊滅した。敗北を悟ったアルボガステスは数日間の逃亡ののちに自決した。降伏して寛恕を願ったエウゲニウスも、国家反逆罪で僭称帝として処刑され、テオドシウスの兵営に首を晒された。
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