武蔵野鉄道デハ5560形電車
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武蔵野鉄道デハ5560形電車(むさしのてつどうデハ5560がたでんしゃ)は、現・西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が新製した電車である。
- ^ a b 川崎造船所は、本形式の落成を目前に控えた1928年(昭和3年)5月18日付で、鉄道車両ならびに鋳造製造を扱う兵庫工場を株式会社川崎車輌として分離している。よって、本形式の製造会社は正式には「川崎車輌」とすべきであるが、一般には発注当時の社名をもって「川崎造船所製」として扱われることがほとんどである。
- ^ 武蔵野鉄道においては制御車・付随車とも「サハ」を称した。
- ^ 現在の池袋線(当時は武蔵野鉄道本線と称した)の末端区間に相当し、開業以前は「吾野線」とも称された。
- ^ 現在の狭山線。「山口線(戦後開業した軽便鉄道規格の山口線とは異なる)」「貯水池線」とも称された。
- ^ 吾野線は1929年(昭和4年)9月に、村山支線は同年5月にそれぞれ開通した。
- ^ 本形式の場合、車体裾部とウィンドウシル部にわずかにリベットを有するのみである。
- ^ 川崎造船所(川崎車輌)製の車両で同様の構体設計を採用したものには上毛電気鉄道デハ100型ならびに吉野鉄道モハ201形・クハ301形があり、特に後者は後述の通り窓形状などの車体設計思想にも類似点を有する。
- ^ 幕板寸法や窓配置、ならびに側窓部構造(吉野モハ201形・クハ301形は一段上昇窓)が本形式とは異なる。
- ^ 窓1つ分がボックスシート1区画分に相当した。
- ^ GE-244 (SE-102) 主電動機は当時の鉄道省における制式機器として採用された機種であり、鉄道省においてはMT4という独自の型番が付与されていた。
- ^ GE社の開発したPC電空カム軸式制御器を母体に、同社の日本国内における提携先である東芝が製造した模倣品である。中でもRPC-101制御器は鉄道省制式制御器(制式型番はCS1)として採用され、さらにこのCS1の改良版後継機種として開発されたものが、戦前から戦後にかけて大量に製造されたCS5制御器であった。
- ^ 武蔵野鉄道においてはHL制御器を搭載する5000番台形式の登場後主流から外れることとなったRPC形であるが、これは機構面では手動進段のHL制御器よりも高機能であり、(現)西武鉄道は戦後の戦災国電および木造国電の大量入線を契機として、以降の新製車に関しても主要機器を国鉄制式機器で統一した。それによって制御器についてもRPC形の系譜に連なるCS1・CS5が大量に用いられることとなり、かつてRPC形に代わって採用されたHL制御器がこれと置き換えられる形で淘汰されるという逆転現象が起こっている。
- ^ 合併当初の社名は「西武農業鉄道」であり、現社名への改称は翌1946年(昭和21年)11月に実施された。
- ^ 時期は不詳ながら、TR10系からクハ1251形の鋼体化改造によって発生した汽車製造製形鋼組立型釣り合い梁式台車BW-Aへ換装された。
- ^ 車体幅2,800mmの戦災復旧国電等大型車導入に伴い、それよりも車体幅の狭かった従来車全車を対象に施工されたものである。
- ^ 窓開口部より浸入した雨水、もしくは洗車の際に用いられた洗浄水が腰板部に溜まることによって腐食を引き起こしたものである。これは同部の水抜きを配慮した設計が未熟であった時代に製造された一段下降窓構造の車両に共通する弱点であり、後年においても日本国有鉄道(国鉄)157系電車が同様の理由によってその寿命を縮めたことで知られる。
- ^ 更新はあくまでも名義上のものに過ぎず、部品流用等は一切行われていない。
- ^ 鋼体化対象となった木造車は西武より譲渡されたモハ201・202およびクハ1201・1202で、いずれも武蔵野鉄道が新製した車両(旧デハ100形・サハ135形)であった。鋼体化に際しては現車振り替えの形が取られ、本形式の入線と入れ替わりに同4両は西武へ返還されている。なお、鋼体化竣功は1958年(昭和33年)5月19日付で認可されていることから、現車は西武モハ501 - 504(2代)の竣功以前に近江鉄道へ譲渡されていたものと推測される。
- 1 武蔵野鉄道デハ5560形電車とは
- 2 武蔵野鉄道デハ5560形電車の概要
- 3 参考文献
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