武芸図譜通志
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武芸図譜通志(ぶげいずふつうし)は、朝鮮王朝(李氏朝鮮)で編纂された兵書。
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武芸図譜通志
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「武芸図譜通志」も参照 1790年に正祖の命で、武芸新譜を基に編纂されたものが『武芸図譜通志』である。 この時代には老論派内部でも、絶頂期にあった清の経済力と高い文化を認めた「北学派」があらわれ、実学の風潮が更に高まっている。 内容は『武芸新譜』の十八技に、「騎槍」「馬上月刀」「撃球(打毬)」などの中国馬上技(唐の時代にペルシャから伝わった可能性あり)、六技を加えた二十四技からなっている。 『武芸新譜』から続いて掲載されたうちで特筆されるのは、「倭剣譜」「交戦譜」と「本国剣」である。 武官金体乾は倭館に出入りして剣術を習得、更に1682年に徳川綱吉の将軍就任を祝賀して粛宗が派遣した朝鮮通信使にも随行し、「土由流」「運光流」「千柳流」「柳彼流」を学んだという。これに拠ったものが「倭剣譜」「交戦譜」であるが、金体乾が学んだという流派名は存在せず、実際は何流であるか判別していない。図譜の内容も日本剣術の正確さの検証はされていない。 「本国剣」は新羅時代の花郎を起源とする伝統剣術とされているが、明代の『武備志』に掲載された「朝鮮勢法」の写しであることがわかっている。
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