武田元光
武田元光(たけだ もとみつ) 1493~1551
○彦次郞 元言 伊豆守 大膳大夫
◇父:武田元信 子:武田信親、信豊、信実、信高
父が出家したことから家督継承、若狭守護・武田氏当主となるが、丹後・一色氏との抗争、重臣間の内紛等難題を抱えていた。細川高国の援けて出兵し、1527年京・西七条において三好勝長、柳本賢治らの軍勢を迎撃するが、激戦の末大敗し、高国と共に将軍義晴を奉じて近江へ落ちた。この敗北により領国経営が不安定となり、海岸線を丹後の海賊衆に襲撃されるが、何とかこれを撃退した。また、重臣粟屋元隆が離反し、1538年これと争う等内紛が絶えず、弟信孝を擁する一派が越前から若狭へ侵攻しようとした時、幕府を通して越前・朝倉氏にその制止を要請、これを断念させている。父同様、和歌等芸術面に優れていたという。
◇父:武田元信 子:武田信親、信豊、信実、信高
父が出家したことから家督継承、若狭守護・武田氏当主となるが、丹後・一色氏との抗争、重臣間の内紛等難題を抱えていた。細川高国の援けて出兵し、1527年京・西七条において三好勝長、柳本賢治らの軍勢を迎撃するが、激戦の末大敗し、高国と共に将軍義晴を奉じて近江へ落ちた。この敗北により領国経営が不安定となり、海岸線を丹後の海賊衆に襲撃されるが、何とかこれを撃退した。また、重臣粟屋元隆が離反し、1538年これと争う等内紛が絶えず、弟信孝を擁する一派が越前から若狭へ侵攻しようとした時、幕府を通して越前・朝倉氏にその制止を要請、これを断念させている。父同様、和歌等芸術面に優れていたという。
武田元光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/19 17:16 UTC 版)
武田 元光(たけだ もとみつ)は、戦国時代の大名。武田元信の次男。若狭国守護。若狭武田氏6代当主。
- ^ a b 今井尭ほか編 1984, p. 324.
- ^ a b c d e f g h i 高野賢彦 『安芸・若狭武田一族』p.122-125,164
- ^ 『続群書類従』所収「細川系図」
- ^ 尊経閣文庫所蔵の「聞書条々」に元光の筆による永正17年(1520年)の年次と二十七歳を付記した自身の署名が入った奥書が入っている(木下聡、『若狭武田氏』2016年、P42)。
- ^ 『実隆公記』大永4年9月29日条
- ^ 『実隆公記』大永6年10月28日条
- ^ 『二水記』大永6年12月29日条
- ^ 笹木康平「戦国期畿内政治史と若狭武田氏の在京」(初出:『日本歴史』768号(2012年)/所収:木下聡 編『シリーズ・中世西国武士の研究 第四巻 若狭武田氏』(戎光祥出版、2016年) ISBN 978-4-86403-192-9)
- ^ 福井県史(領国経営の行き詰まり)[1]
- ^ 木下聡、『若狭武田氏』2016年、P35
- ^ 福井県史(元隆の反乱)[2]
- ^ 木下聡、『若狭武田氏』2016年、P31
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