櫓と門とは? わかりやすく解説

櫓と門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 22:26 UTC 版)

明石城」の記事における「櫓と門」の解説

本丸東の丸二の丸稲荷曲輪帯曲輪北の曲輪山里曲輪三の丸屋敷曲輪三重4基 なし なし なし なし なし なし なし なし 4基 二重櫓なし 1基 2基 2基 1基 なし なし なし なし 6基 平し なし なし なし なし 3基 1基 6基 なし 10基 門2箇所 2箇所 2箇所 3箇所 4箇所 2箇所 2箇所 5箇所 6箇所 27箇所 合計20基 門合計27本丸西南天守台広さは約152坪がある。広さから推察すると5重規模当の天守築かれる予定だったが、天守建設されず、四隅に巽、坤乾櫓艮櫓建設された。『日本城郭大系』によると「坤天守代用となっている」なっている。4基のうち南側2棟、すなわち巽(たつみやぐら、南東側)、坤ひつじさるやぐら、南西側)が現存し国の重要文化財指定されている。巽・坤の棟(破風)の方向異なっている。西側明石川を自然の外堀とし、南側運河掘って港を兼ねた外堀現在の明石港)とした。北側の池(剛の池)と自然林谷筋防備固めた。 坤 桁行6間、梁間5間、高さ7間2尺9寸。入母屋根造で妻部は南北に向く。昭和57年改修工事で他城から移築されたと分かった。 巽 桁行5間、梁間4間、高さ7間1寸。入母屋造で妻部は東西に向く。

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櫓と門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 21:54 UTC 版)

淀城」の記事における「櫓と門」の解説

淀城天守以外にも多くの櫓と門があった。木幡山伏見城廃城による代替として幕府松平定綱命じて築かせた。また、本丸には伏見城から殿舎一部移築されたとされている。しかし、この殿舎徳川家光上洛の際に宿泊したことから、以後城主はこの殿舎住居構えるのをはばかり二の丸新し御殿構えたという逸話残っている。 本丸二の丸三の丸西の丸曲輪三重4基 なし なし なし なし 二重櫓5基 2基 2基 なし なし 平6基 6基 7基 3基 3基 門3箇所 5箇所 6箇所 1箇所 3箇所 合計38基 門合計21棟(上記以外に内高曲輪2棟設けられていた)

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