機関化する英国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 06:26 UTC 版)
1990年にメルク・フィンク商会(英語版、ドイツ語版)を買収した。メルク・フィンクの原点はダルムシュタット銀行である。メルク・フィンクは過去アンシュルスに機会を得て、ルイ・ナタニエル・フォン・ロートシルト男爵(ドイツ語版)のザロモン・マイアー・フォン・ロートシルト銀行をアーリア化した。また、バークレイズは概要のヨーロッパ銀行も買収した。こうしてバークレイズはドイツとフランスのロスチャイルド資本を回収・結合し、両国とイギリスを通じて世界の決済事業へ進出した。 1990年代、バークレイズは大西洋両岸の不景気に苛まれた。1993年、Andrew Buxton が会長となり、翌年にMartin Taylor がCEO となった。1996年まで、バークレイズは事業売却をくりかえして利益を上げた。1997年、会長としてBZW からPeter Middleton がやってきた。Martin TaylorがBZW の解散・再配置を提案し、会長と対立した。BZW の受益者である機関投資家が自己資本利益率を厳しく追求する中、ロシア財政危機とLTCM破綻救済によってバークレイズの株価は下落した。1998年11月27日、Martin Taylorは辞職した。1999年、Michael E. O'Neill がCEO となったが、たった一日でMatthew Barrett に交代した。同年、トニー・ブレアが貴族院法で世襲貴族の議席を大幅制限した。2000年、バークレイズは相互会社のThe Woolwich を買収した。 2003年、CIBCからジュピター銀行という米クレジット・カード会社を買収した。さらにスペインのサラゴサ銀行も吸収した。 2005年、バークレイズ・アフリカ・グループ(旧Absa Group)を傘下におさめた。また、リーガル&ジェネラルとの合弁事業であったグレシャム保険の株式を相手方から譲り受けた。同年5月、バークレイズ本部はシティのロンバード・ストリートからカナリー・ワーフのOne Churchill Placeに移った。2006年、ワコビアから住宅ローン事業(HomEq Servicing Corporation)を4.69億ドルで下取りした。2007年3月にABNアムロ銀行を合併しようとしたが10月に取りやめた。
※この「機関化する英国」の解説は、「バークレイズ」の解説の一部です。
「機関化する英国」を含む「バークレイズ」の記事については、「バークレイズ」の概要を参照ください。
- 機関化する英国のページへのリンク