東日本大震災における被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 04:44 UTC 版)
「ブルーインパルス」の記事における「東日本大震災における被害」の解説
2011年(平成23年)3月、ブルーインパルスは同年3月12日の九州新幹線全線開通を記念した展示飛行のため、同月10日に芦屋基地への展開を行なった。ところが、同月11日、九州新幹線全線開通記念の展示飛行予行を行なった直後に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した。ブルーインパルスの母基地である松島基地は震源地に近かったため、巨大津波に直撃されて、主力戦闘機を含む航空機28機が水没するという甚大な被害を受けた。松島基地に配備されていた航空機で被害を免れたのは、留守にしていたブルーインパルスの機体のみという惨状であった。言い換えれば、基地に残してきた予備の1機が水没したものの、ブルーインパルス専用機は不幸中の幸いで被害を回避できた。しかし、基地に帰還することもできなくなってしまった。当然ながら、翌3月12日の九州新幹線全線開通記念の行事全てとともにブルーインパルスの展示飛行は中止されている。 基地機能の復旧に時間がかるため、ブルーインパルスの隊員たちは、機体は九州に残したまま、同月14日に松島基地および周辺地域の復旧作業のために帰還した。その後も、基地機能の復旧や津波対策を行う関係から松島基地でのブルーインパルスの機体の受け入れ態勢が整わず、その都度松島からクルーが芦屋基地へ出向く「移動訓練」という形態を余儀なくされた。訓練飛行が再開されたのは同年5月23日であった。展示飛行は同年8月7日に千歳基地で行なわれた航空祭から再開された。仮の母基地となった芦屋基地では第13飛行教育団の隊舎内にある会議室に間借りする運びとなった。芦屋基地では環境問題の関係からアクロバット飛行の訓練を行うことはできなかった ため、地元との調整の結果、同8月26日からは築城基地上空においてアクロバット飛行の訓練が再開された。離陸課目の訓練で築城基地に離着陸することもあった。整備員が移動しなくて済むように、芦屋基地から築城基地上空まで飛来して訓練を行う「リモート訓練」形式となり、地上統制要員は築城基地まで陸路を移動していた。このほか、日本海側にある見島分屯基地でも洋上訓練を行なっていた。 なお、松島基地が所在する東松島市では同年8月に避難者の応急仮設住宅入居が完了し、全避難所が8月31日に閉鎖された。ちょうどこの時期(8月20日)に東松島市で行なわれた「ありがとう!東松島元気フェスタ」で展示飛行が行なわれた。この時は三沢基地からのリモートショー形式であった。 震災による訓練中断と、その後の不安定な天候により、この時期のブルーインパルスでは要員練成にも遅れが生じ、半年ほど第11飛行隊からの転出が遅れる事態になった。このような事情から、要員練成をメインとして、2012年の展示飛行は通常の年の半分以下である12回に減らされた。
※この「東日本大震災における被害」の解説は、「ブルーインパルス」の解説の一部です。
「東日本大震災における被害」を含む「ブルーインパルス」の記事については、「ブルーインパルス」の概要を参照ください。
東日本大震災における被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/08/26 11:42 UTC 版)
「栃木県道154号下高根沢氷室線」の記事における「東日本大震災における被害」の解説
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、通過する宇都宮市が震度6強を記録した。 宇都宮市清原台6丁目付近では、崖状になっている法面ブロックが損壊し、地震後から約3カ月にわたり、同付近では全面通行止めとなった。 復旧工事は夏ごろから冬にかけ行われ、2012年2月までは芳賀方面車線を通行止め(片側交互通行)にし、工事が進められていた。
※この「東日本大震災における被害」の解説は、「栃木県道154号下高根沢氷室線」の解説の一部です。
「東日本大震災における被害」を含む「栃木県道154号下高根沢氷室線」の記事については、「栃木県道154号下高根沢氷室線」の概要を参照ください。
- 東日本大震災における被害のページへのリンク