朝鮮語による第2放送とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 朝鮮語による第2放送の意味・解説 

朝鮮語による第2放送

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 02:57 UTC 版)

朝鮮放送協会」の記事における「朝鮮語による第2放送」の解説

社団法人京城放送局では経営不振打開するために、1931年2月朝鮮語専用第2放送実施計画着手し途中朝鮮総督府社団法人日本放送協会経済的技術的支援を受け、1932年4月には経営母体も「社団法人朝鮮放送協会」に改組京城放送局京城中央放送局改称しながら第1放送日本語)の増力と第2放送新設果たした第2放送開始1933年4月日本語朝鮮語分離した放送日本人朝鮮人双方好評で、同年末の聴取契約数は3万2千件に達したが、主に日本人世帯聴取契約数増加した当時ラジオ放送聴取するためには月額1円と言うやや高額な聴取料が必要(1938年4月75銭に引き下げ)であり、貧困層の多い朝鮮人世帯にはなかなか普及しなかった。加えて、あまり送信出力大きくない京城中央放送局1局からの放送朝鮮全土到達させるのは、地形的にも困難であった1937年4月第2放送出力50kWに増力し全土聴取可能になる)。しかし、ラジオ個人家庭以外にも、食堂喫茶店農村集会所等、人がよく集まる所に設置されており、聴取者数は決し少なくなかった1920年代朝鮮語新聞とともにこのラジオ放送近代朝鮮語確立与えた影響小さくないと言われている。ところが、朝鮮語による放送朝鮮での日本語普及皇民化妨げるという主張が後を絶たず、朝鮮語放送廃止論がしばしば台頭した日中戦争長期化し、更に太平洋戦争勃発すると、内地日本本土同様に朝鮮放送戦時色強くなり、第2放送人気のあった歌謡番組戦意高揚歌ばかりとなった1942年4月放送電波管制のため京城中央放送局からの第2放送一時休止されたが、地方局にも第2放送設備新設して1943年11月再開された。

※この「朝鮮語による第2放送」の解説は、「朝鮮放送協会」の解説の一部です。
「朝鮮語による第2放送」を含む「朝鮮放送協会」の記事については、「朝鮮放送協会」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「朝鮮語による第2放送」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「朝鮮語による第2放送」の関連用語

朝鮮語による第2放送のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



朝鮮語による第2放送のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの朝鮮放送協会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS