最終攻撃の準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 05:13 UTC 版)
「第一次レキシントンの戦い」の記事における「最終攻撃の準備」の解説
9月19日、ミズーリ州軍はその陣地を統合し、北軍を激しい砲火にさらしたままにし、最終攻撃の準備をした。守備側が直面した1つの問題は常に水が不足していたことだった。北軍の前線内側にある井戸は干上がっており、南軍の狙撃兵は近くにある泉を狙うことができ、泉に近づこうとする者をすべて抑えることができた。マリガンは、兵士なら失敗するものも女性ならばできるかもしれないと考え、1人の女性を泉に行かせた。プライスの兵士は銃撃を続けたが、彼女は窮地に立たされていた北軍の所まで水筒数本の水を運ぶことができた。しかしこのような些細なやり方では、酷くなっていた北軍守備隊の渇きを癒すことが出来なかった。このために最終的な敗北に繋がった可能性がある。 1861年9月18日、プライス将軍はその作戦本部を、レキシントン市メインストリート926、ラファイエット郡庁舎の通り向かいの銀行が入っている建物に置いた。この戦闘の間、プライスは二階の部屋から州軍の操作を指示した。翌日、おそらくはハイラム・ブレッドソー大尉の州軍砲兵隊が放った砲弾が、プライスの作戦本部から約100ヤード (90 m) しか離れていない郡庁舎に当たった。この砲弾は現在も最左翼の柱にめり込んだまま残っており、観光の対象になっている。ただし、安全上の理由からクロケットのボールに置き換えられている。 9月19日夜、トマス・ハリス准将の州軍第2師団が、近くの倉庫で手に入れた麻の樽を使って、移動式の胸壁を作り、北軍の塹壕前に置いた。これら樽には前夜に川の水を汲み入れており、北軍が熱した砲弾を撃っても直ぐに消すことができた。ハリスの作戦は翌日樽を丘の上まで転がして行き、それを遮蔽に使って北軍守備隊に近づき、最後の突撃を行うというものだった。麻の樽の前線はアンダーソンの家近くに始まり、北に丘の側面まで約200ヤード (180 m) 伸びていた。多くの場所では麻の樽が2段に積まれ、さらに保護できるようにされていた。
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