晩年・オマージュ
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「ジェルメーヌ・ティヨン」の記事における「晩年・オマージュ」の解説
2001年にカリフォルニア芸術大学教授のナンシー・ウッドとの共著の写真集『オーレス山地のアルジェリア』を発表した。ナンシー・ウッドは2003年に評伝『ジェルメーヌ・ティヨン ― 女性・記憶 ― もう一つのアルジェリアへ』を発表している。 2001年に出版されたティヨンの著書『真と義を求めて』はツヴェタン・トドロフの編集による著書であり、トドロフはこの他にも没後出版のティヨンの自伝『ジェルメーヌ・ティヨン ― レジスタンス・強制収容所・アルジェリア戦争を生きて』の編集および序文「ジェルメーヌ・ティヨン ― 理解しようという情熱」、その他のティヨンの著書の編集を手がけ、2015年発表の著書『屈服しない人々』では一章を設けてティヨンの生涯を論じている。 2002年、エクサンプロヴァンス地中海・比較民族学研究所で第1回「ジェルメーヌ・ティヨン会議」、およびアラブ世界研究所でジェルメーヌ・ティヨンの生涯と作品に関する討論会が行われた。2003年、ジェルメーヌ・ティヨンの名を冠した最初の施設「ジェルメーヌ・ティヨン地区会館」が設立され、開館を記念して1か月にわたって演劇上演、映画上映、講演会、会議、展覧会などが行われた。また、アルジェリア政府の発議による「アルジェリア・フランス ― 文明の対話の重要人物に捧げるオマージュ」の一環として、アラブ世界研究所にて「ジェルメーヌ・ティヨンに捧げるオマージュ」の企画が行われた。2004年、リヨンのレジスタンス・強制収容歴史センター(フランス語版)で「レジスタンス ― ジェルメーヌ・ティヨンの歩みと活動」展が開催され、その後、グルノーブル、ブザンソン、サルゾー(フランス語版)、マルセイユ、クレテイユ、ペルピニャンを巡回した。同年、ジェルメーヌ・ティヨンを名誉会長とする「ジェルメーヌ・ティヨン協会」が設立された。会長は民族学者クリスティアン・ブロンベルジェ(フランス語版)であり、ブロンベルジェもトドロフとともにティヨンの著書の編集に携わり、トドロフとの共著『ジェルメーヌ・ティヨン ― 世紀の民族学者』を発表している。同書にはティヨンがオーレス山地で撮ったこれまで未発表の写真が多数掲載されている。 2005年、ジェルメーヌ・ティヨン協会を介して、フランス国立図書館にこれまでに収集・作成した民族学・人類学等の資料を寄贈。強制収容に関する資料は、ブザンソンのレジスタンス・強制収容博物館に寄託された。同年、ラーフェンスブリュック強制収容所で執筆したオペレッタ『地獄の待機要員』が出版された。序文は再びトドロフである。『地獄の待機要員』は2007年、ティヨン生誕100年を記念してシャトレ座で上演された。ティヨンは『戦争と平和の闘い』を出版し、『未来に向かうアフリカの大変動』、『相互補完的な敵』、『真と義を求めて』を加筆修正して再出版した。 ティヨンはまた、1973年からプルイネック (フィニステール県) のラン=ドレフで自宅の建設と併せて公園の整備を開始し、長年にわたって毎年ここで数か月を過ごし、多くの友人を招いていたが、2004年にこの土地建物を沿岸域保全整備機構に譲渡した。
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