晩年・日進から日善へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/01 15:36 UTC 版)
「日進 (身延3世)」の記事における「晩年・日進から日善へ」の解説
下総と親交の厚かった日進は、中山に所蔵されていた日蓮の真筆を勢力的に書写し、その集成を図った。また正中2年(1325年)には京都でも仏教経典を書写したとされ、晩年になっても揺るがない日進の研学精進がうかがえる。 また日進は元徳元年(1329年)3月8日、日蓮の母が生まれたとされる下総国鎌ヶ谷村道野辺(現・千葉県鎌ヶ谷市東道野辺)に妙蓮寺を開山し、日蓮の母の追善を資している。 日進は身延山久遠寺に在位17年、元徳2年(1330年)久遠寺4世に日善を推挙し自身は隠棲したとされる。
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