旧完全版までとは? わかりやすく解説

旧完全版まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 07:59 UTC 版)

フィンセント・ファン・ゴッホの手紙」の記事における「旧完全版まで」の解説

ゴッホは、1920年頃までに各国受容評価され、書簡集翻訳出版された。イギリスでは1913年ドイツ語でのカッシーラーに基づきアンソニー・ルードヴィチ(英語版)が一部翻訳し出版日本最初にゴッホの手紙を紹介したのは、児島喜久雄が『白樺』(1911年2月以降から)に「ヴィンツェント・ヴァン・ゴォホの手紙」を掲載紹介ドイツ版から訳出)で、単行判は木村荘八が、1915年に『ヴァン・ゴォホの手紙』(洛陽堂、ルードヴィチ英訳版での訳出)を出版戦後小林秀雄が、『ゴッホの手紙』を1950年の『藝術新潮創刊号から連載した新潮社新版新潮文庫1953年第4回読売文学賞受賞)。 1921年ドイツ語版・ヴォラールのベルナール宛書簡集が出版された(1928年再版)。1924年ヨー編纂オランダ書簡集。翌25年ヨー没したが、ドイツ語版再版には、ヨー息子フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホによる序文収録し伯父フィンセントの作品手紙普及周知させるためヨーが行ってきた努力紹介されている。 イギリスでは、ゴッホ評価紹介が遅れ、1927年初め本格的な英語版書簡集出版された。1938年美術史家ダグラス・クーパー(英語版)の編集で、ベルナール宛書簡集の英訳版出版された。クーパーは、ヴォラール版を用いずオリジナル原稿から訳出を行うとともに初め書簡集学術的な立場から注釈付したまた、テオベルナール、ラッパルト以外の人物ポール・ゴーギャンジヌー夫妻ポール・シニャックジョン・ピーター・ラッセルなど)に宛てた書簡も、散発的に公表されていった。 フィンセント・ウィレムは、1932年テオからフィンセントに宛てて1888年から1890年にかけて送られ手紙41通を、Lettres à son frère Vincentとして刊行し1100部が刷られた。フランス語での出版であった。その中にはヨーがフィンセントに送ったものも含まれている。 1936年ゴッホのラッパルト宛書簡が、ニューヨークでLetters to an artist. From Vincent van Gogh to Anton G.A. Ridder van Rappard 1881-1885というタイトル翻訳出版された。続いて1937年オランダでも、ラッパルト宛書簡がBrieven van Vincent van Gogh aan Anthon G.A. Ridder v. Rappard 1881-1885で出版された。

※この「旧完全版まで」の解説は、「フィンセント・ファン・ゴッホの手紙」の解説の一部です。
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