旧地の発掘調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:12 UTC 版)
旧地の元本能寺南町には京都市立本能小学校があったが、1992年(平成4年)廃校となり、その後発掘調査が行われた。それにより、織田信長の定宿だった当時の遺構が発見されて話題を呼んだ。現在は京都市立堀川高等学校本能学舎と高齢者福祉施設本能(京都市が設置し指定管理者が運営)が置かれている。2007年(平成19年)マンション建設に伴う遺構調査では、本能寺の変において焼けたと思われる瓦や、当時は「能」よりも広く用いられていた字形「」がデザインされた丸瓦が、堀跡のヘドロの中から見つかっている。 本能寺の変遷建立廃位置1415年 日隆が「本応寺」創建 1418年 妙本寺宗徒が破却 地図 1429年 山本宗句の援助で「本応寺」が移転・再建 千本極楽付近? (現・二条城の北西) 1433年 如意王丸が願主となり、「本能寺」に改号・移転・再建 1536年 「天文法乱」で焼失 地図 1545年 日承(第12代貫首)が再建 1582年 「本能寺の変」で焼失 地図 1592年 豊臣秀吉の命で、日衍(第14代貫首)が移転・再建 1788年 「天明の大火」で焼失 地図 1840年 日恩(第77代貫首)が再建 1864年 「禁門の変」で焼失 1928年 本堂(現在)を再建 本能寺跡出土瓦類京都市考古資料館展示。 本能寺跡出土軒丸瓦京都市考古資料館展示。
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