日本軍進駐下のタイ国内状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 05:16 UTC 版)
「自由タイ運動」の記事における「日本軍進駐下のタイ国内状況」の解説
ピブンの日本よりの政策は当初国内において支持を得た。タイ軍は、1826年ヤンダボ条約(英語版)でイギリスが植民地支配権を確定したシャン州回復を目標として、日本のビルマ侵攻戦をともに戦った。タイ軍は、さらに1893年仏泰戦争(英語版)で失ったラオスや、1909年英泰条約(英語版)で失ったマレーの領域(クランタン州、ケダ州、トレンガヌ州、プルリス州)等を回復した。 しかし、日本軍が約15万人もの兵士を駐留させると、だんだん、同盟軍としてよりも占領軍としてタイを扱うようになってきた。米国は既述の理由で正式には宣戦を布告されたことにはなっていなかったが、1942年12月26日インドに基地を置く合衆国第10空軍爆撃隊は、米軍として最初の爆撃を行い、その後続く空襲でバンコク等に数千人の犠牲者を出した。文民エリート層を中心に、世論は、ピブンの政策を支持しないようになっていった。
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