日本を紹介したガイドブックとは? わかりやすく解説

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日本を紹介したガイドブック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 08:46 UTC 版)

旅行ガイドブック」の記事における「日本を紹介したガイドブック」の解説

英語版ウィキソースに本記事関連した原文あります京都・周辺地名案内 日本海外紹介する旅行ガイドブックとしては、1867年出版されたN.B.デニスによる『中国・日本開港案内』が最初とされるその後1873年明治6年)に京都博覧会に来る外国人のために山本覚馬書いた京都・周辺地名案内』が刊行され、さらに1874年明治7年)にウィリアム・グリフィスの『横浜案内』、1875年明治8年)にアーネスト・サトウの『日光案内』、1880年明治13年)にW.E.L. キーリングの『旅行者のための横浜・東案内』と続く。1881年には、アーネスト・サトウホーズによる『旅行者のための中日本北日本旅行案内』が横浜ケリー社より出版され同書第二版として『旅行者のために日本旅行案内』が1884年明治17年)にイギリスジョン・マレー社から出版された。執筆者としてバジル・ホール・チェンバレンらを擁し小泉八雲や、『日本アルプス登山と探検』を記し日本アルプスヨーロッパ紹介したウォルター・ウェストン寄稿がなされ現在では貴重な文献となっている。同書その後30年間で9版を重ねた定番とされたマレー社の旅行案内陳腐化しつつあった1914年大正3年前後に、新し英文ガイドブック相次いで登場したアメリカ人フィリップ・テリー著の『テリー日本帝国案内』は外国人目線興味深いものをピックアップした点に特徴があり、データ正確性難点があるものの入手容易なガイドブックとして1933年昭和8年)まで幾度も改訂版出版された。また、ジャパン・ツーリスト・ビューロー刊行した日本ポケットガイド』は日本着いてからの移動費や宿泊費など実用性重視した同時期に発刊され鉄道院作成の『東アジア旅行案内(An Official Guide to Eastern Asia:Trans-continental Connections between Europe and Asia)』は「満州朝鮮」(1913年大正2年))、「南西日本」(1913年大正2年))、「北東日本」(1914年大正3年))、「中国」(1915年大正4年))、「東インド」(1917年大正6年))の全5巻からなり観光客のみならず海外からの貿易投資誘致目的として作成されガイドブックである。1933年昭和8年)には日本編だけを一冊にまとめた『日本旅行案内(An Official Guide to Japan)』も出版されている。8年歳月莫大な資金用いられた『東アジア旅行案内』はベデカー準拠した書式採用し優れた写真地図綿密なデータ掲載した貴重な東アジア資料としてタイム誌などから高い評価受けた太平洋戦争後には日本交通公社出版引き継ぎスイスのナーゼル社より出版権譲渡要請もあった。

※この「日本を紹介したガイドブック」の解説は、「旅行ガイドブック」の解説の一部です。
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