日本における催眠術の流行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 09:53 UTC 版)
日本においては、明治末期から大正時代にかけて催眠術が大流行し、催眠術を応用した精神療法や身体鍛練法などを唱える者が多数現れた。それらは医学関係者から霊術師まで多岐にわたり、福来友吉、田中守平などがいた。書物も多数出版され、「催眠」と明記した書籍だけでもこの時期だけで400冊以上が出版されている。その流行ぶりに、風俗撹乱の恐れから、1908年に発布された警察犯処罰令(1948年に廃止)には「みだりに催眠術を施した者」という一項が入れられていた。プロの催眠術師たちは、看板を「霊術」「精神療法」「心理療法」などと書き換え当局の追及をかわした。霊術は昭和期には最盛期を迎え、1930年には霊術家は3万人であったという。明治政府に禁止された修験道など日本の呪術文化と融合した霊術は、手技療法などの療術と併用され、通常医療の足りない面を補い黙認されていたが、その山師的側面から規制の対象となった。また霊術は現在の新宗教のルーツの一つでもある。霊術は、戦後GHQに禁止されたことで死語になり、おおよそ終焉をむかえた。フランツ・アントン・メスメル(1734年 - 1815年)によるメスメリズム(動物磁気療法)は催眠術のもとになった療法だが、近代日本で催眠術と混同されていた。
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