新約聖書にある終末信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 01:51 UTC 版)
50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明した。この終末観は初期キリスト教の預言者の言葉である可能性大であるとされている。テサロニケの信者は下記の予測についての終末信仰を始めた。 パウロが生きているうちに主の来臨がおきる。 パウロが生きているうちに合図の声とともに主が天から下ってくる。 パウロが生きているうちにキリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえる。 パウロが生きているうちによみがえった死人や眠っていた人たちが天に上げられる。 パウロは生きたままで空中で主に会うことになり、そののちはいつも主と共にいることになる。 54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明した。コリントの信者は再臨の時までパウロが生き残ることと、不死なる体に変化する世の終わりが近づいてきているという終末信仰を始めた。 95年から96年ごろ著者は不明であるが、ヨハネの黙示録が著され、天にてキリストの支配がはじまったという終末観が表明される。パウロの死んだ年は65年ころとされるので、それから30年くらい経過した時点での新たな予測の表明が為された。小アジアの信者は天にてキリストの支配がはじまったという終末信仰を始めた。キリスト教的な終末信仰が確立した。 キリスト教の終末観といった場合、ヨハネ黙示録を考証されることが多いが、新約聖書を歴史的な文書としてみる立場からは、この黙示録は文学作品として扱われることがある。岩波書店の『新約聖書』(2004年)においては、新しい神支配の経綸を象徴的に解釈開示するキリスト教的黙示文学作品であるとされている。
※この「新約聖書にある終末信仰」の解説は、「終末論」の解説の一部です。
「新約聖書にある終末信仰」を含む「終末論」の記事については、「終末論」の概要を参照ください。
- 新約聖書にある終末信仰のページへのリンク