新御代官とは? わかりやすく解説

新御代官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/01 04:41 UTC 版)

上坂政形」の記事における「新御代官」の解説

寛保3年1743年7月9日に、政形は支配増地の上勘定奉行神尾春央配下へと異動した元文2年1737年6月14日に、老中松平乗邑勝手掛老中任命され幕府財政最高責任者となり、勘定奉行神尾とその配下勘定組頭堀江中心として年貢増徴政策進める。堀江配下に、勘定方出身者中心に構成され関東各地配属された「新御代官(しんおだいかん)」と呼ばれる8名の代官がいて、政形も新御代官の1人として松平乗邑政策協力した。 乗邑の増徴増税政策は、大名旗本などの私領地は検地によって石高に結ばれた年貢を取ることのできる土地のみでそれ以外の「高外地たかがいち)」は幕府のものであるという考えに基づきこれまで非課税だった高外地天領私領旗本知行地など)の区別なく課税するというものであった。 この政策は、それらの土地農民領主たちの抵抗失敗終わり上総国旗本知行地山林から材木切り出した政形も、領主である服部八郎五郎保房(やすふさ)の異議申し立てにより材木返還させられている。政形は、岡田大夫俊惟(としただ)、青木次郎九郎安清やすきよ)、蓑正高とともによろしき御代官」として将軍徳川吉宗にも高く評価されたが、その一方で松平乗邑政策従った非義不仁(ひぎふじん)」な支配により百姓虐げられ大い困窮させられたとして、百姓たちが目安箱直訴するおよんだが、政形の上司の神尾春央やさらにその上松平乗邑によって握りつぶされてしまい、吉宗にまでこの訴状が届かなかったと言われている。

※この「新御代官」の解説は、「上坂政形」の解説の一部です。
「新御代官」を含む「上坂政形」の記事については、「上坂政形」の概要を参照ください。

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