新徴組の剣術教授方代稽古と肝煎役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 14:12 UTC 版)
「柏尾馬之助」の記事における「新徴組の剣術教授方代稽古と肝煎役」の解説
清河殺害から間を置かず、浪士組は幕府により再編され、同年四月十五日に江戸市中の治安機関・新徴組として大きく方向性を変える。 新徴組は江戸の治安維持が組の主な役割で、尊王攘夷派の不穏分子の取り締まりという、浪士組と対極の役割も負わされた。しかし浪士組、清河の影響などから尊皇攘夷指向の強い隊員も多く、組の発足当初は新撰組ほどの過激な取り締まりは少なかった。また、新撰組のような隊員の粛清などもほとんどなかったとされる。屯所は江戸本所(現・東京都墨田区本所)などにあった。 柏尾は新徴組結成初期から組頭や肝煎役を勤めていたが、同年6月に200余名の全隊員で行われた撃剣試合を勝ち抜き、新徴組剣術教授方にも任命される。同郷の山田官司(新徴組取締役・剣術教授方、北辰一刀流)に代わり隊員に稽古を付ける傍ら、実動隊としても二番隊肝煎役などとして江戸市中の警戒業務も担っていた。 前述の通り剣術は、北辰一刀流剣術大目録皆伝(俗に言う免許皆伝)と白眉の腕前。極めて優れた剣士として評価されていた上、人間的にも実直な人柄で剣術の指導や隊の統率にも優れており、新徴組では剣術教授方代稽古に加え隊の肝煎役を、北辰一刀流では剣術道場を任されるほどであった。
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