改良と統合、1920年 - 1933年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/10 03:51 UTC 版)
「セントラル・ロンドン鉄道」の記事における「改良と統合、1920年 - 1933年」の解説
表・話・編・歴 セントラル・ロンドン鉄道1933年LPTB継承時点一部を除くすべての駅は1900年開業 イーリング・ブロードウェイ 1920年 ウェスト・アクトン 1923年 ノース・アクトン 1923年 イースト・アクトン 1920年 ウッド・レーン(英語版) 1908年 車両基地 シェパーズ・ブッシュ ホランド・パーク ノッティング・ヒル・ゲート クイーンズロード ランカスター・ゲート マーブル・アーチ ボンド・ストリート オックスフォード・サーカス トテナム・コート・ロード ブリティッシュ・ミュージアム(英語版) ホルボーン 建設中 チャンスリー・レーン ポストオフィス バンク リヴァプール・ストリート 1912年 凡例 地上線 | 地下線 主要駅 | 駅 車両基地 | 未成駅 買収後、ロンドン地下電気鉄道はセントラル・ロンドン鉄道の運営の統合を段階的に進めた。セントラル・ロンドン鉄道の発電所は1928年3月に廃止され、ロンドン地下電気鉄道がチェルシーに保有していたロッツ・ロード発電所(英語版)からの供給に切り替えられた。旅客の多い駅は改良工事が行われ、バンク駅とシェパーズ・ブッシュ駅は1924年にエスカレーターが取り付けられ、トテナム・コート・ロード駅とオックスフォード・サーカス駅は1925年に、ボンド・ストリート駅は1926年にチャールズ・ホールデン(英語版)設計の新しい入口に改良された。チャンスリー・レーン駅とマーブル・アーチ駅も、1930年代始めに改造されてエスカレーターを取り付けられた。 1923年11月5日に、イーリング延長線の区間にノース・アクトン駅とウェスト・アクトン駅が開設された。これらの駅は、パーク・ロイヤル(英語版)周辺での住宅・産業開発の輸送を担うために建設され、イースト・アクトン駅と同様に、プラットホームに簡単な木製の上屋を備えただけの基本的な駅舎であった。またブリティッシュ・ミュージアム駅の位置が悪く、グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道のホルボーン駅が1906年に開業して以来、ホルボーン駅との接続が悪い問題がセントラル・ロンドン鉄道によって検討されてきた。1907年には駅を連絡する歩行者用地下道が検討されたが、実現しなかった。ハイ・ホルボーンの下のトンネルを拡大し、プラットホームを建設してセントラル・ロンドン鉄道のホルボーン駅を設置し、代わりにブリティッシュ・ミュージアム駅を廃止するという提案が1913年11月に提出された法案に含まれていた。この法律は1914年に国王裁可を得たが、第一次世界大戦のために着工には至らず、1930年になってロンドン地下電気鉄道が再び許可を得て着工した。新しいプラットホームと券売所、そして両路線へのエスカレーターは1933年9月25日に使用開始され、ブリティッシュ・ミュージアム駅は前日の終電限りで廃止された。 1926年3月から1928年9月にかけて、セントラル・ロンドン鉄道は残りの旧式車両(乗降に際してデッキを通るもの)を段階的に改造した。デッキの部分は車体内部になるように改造されて座席が追加され、各側面に2枚の引き戸が取り付けられた。この改造によって輸送力は増強され、またそれまで格子戸を操作していた保安係を廃止して、ドアの制御は列車の長さの半分ずつをそれぞれ担当する2人の車掌に委ねられることになった。最終的に、1928年に運転士と車掌の間で連絡を取れるようになったことにより、車掌1人を省略することができるようになり、列車は1人の運転士と1人の車掌だけで運行できるようになった。車両側面にドアを追加したことで、ウッド・レーン駅では折り返しループ線の内側に設けられたプラットホームの長さが隣接する車両基地へのアクセス線によって制限されていたため、問題が生じた。この問題は、折り畳み式のプラットホームを取り付けて、通常は車両基地アクセス線の上に展開して旅客の乗降ができるようにし、車両基地への出入りの際には畳むようにすることで解決された。
※この「改良と統合、1920年 - 1933年」の解説は、「セントラル・ロンドン鉄道」の解説の一部です。
「改良と統合、1920年 - 1933年」を含む「セントラル・ロンドン鉄道」の記事については、「セントラル・ロンドン鉄道」の概要を参照ください。
- 改良と統合、1920年 - 1933年のページへのリンク