支那事変から第二次世界大戦まで
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「夕風 (駆逐艦)」の記事における「支那事変から第二次世界大戦まで」の解説
1936年(昭和11年)2月26日に勃発した二・二六事件では、横須賀警備戦隊旗艦の木曾と第三駆逐隊(島風、灘風、夕風)、第七駆逐隊(潮、曙、朧)等と出動。海軍陸戦隊を横須賀から芝浦へ輸送する任務に就く。 1937年(昭和12年)8月19日、夕風は第3駆逐隊から一旦はずされた。9月1日に復帰したが、同年11月19日に再び第3駆逐隊から除かれた。同年以降、華中の沿岸作戦に参加した他、南洋諸島や樺太沿岸の警備任務に就いた。 1938年(昭和13年)12月15日、第3駆逐隊は解隊された。 1940年(昭和15年)11月15日、日本海軍は小型空母「鳳翔」および「龍驤」と、峯風型駆逐艦4隻の第34駆逐隊(秋風、羽風、太刀風、夕風)により、第一艦隊隷下に第三航空戦隊(司令官角田覚治少将)を新編した。 1941年(昭和16年)3月には台湾海峡東方海上にて座礁したが、満ち潮と共に離礁に成功し事なきを得た。同年4月10日、日本海軍は第一航空艦隊(司令長官南雲忠一中将)を新編した。同日附で「龍驤」は新編の第四航空戦隊(司令官桑原虎雄少将)旗艦に転じ、第三航空戦隊には剣埼型潜水母艦を改造した軽空母「瑞鳳」が編入される。また第34駆逐隊(秋風、羽風、太刀風)は第一航空戦隊に編入される。「夕風」は第34駆逐隊より除籍され、そのまま第三航空戦隊に所属した。さらに駆逐隊に所属せず単独駆逐艦だった睦月型駆逐艦10番艦「三日月」も4月10日附で第三航空戦隊に編入される。第三航空戦隊は4隻(鳳翔、瑞鳳、三日月、夕風)となった。 9月1日、第三航空戦隊司令官と第四航空戦隊司令官を入れ替える人事がおこなわれ、角田覚治少将は四航戦司令官へ転任した。それまでの四航戦司令官桑原虎雄少将が三航戦司令官に補職される。「夕風」は臨時の第三航空戦隊旗艦を務めた。第一艦隊(司令長官高須四郎中将)隷下の第三航空戦隊は、4隻編制(空母〈鳳翔、瑞鳳〉、駆逐艦〈夕風、三日月〉)で第二次世界大戦開戦をむかえた。
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