支那事変から第二次世界大戦までとは? わかりやすく解説

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支那事変から第二次世界大戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 02:05 UTC 版)

夕風 (駆逐艦)」の記事における「支那事変から第二次世界大戦まで」の解説

1936年昭和11年2月26日勃発した二・二六事件では、横須賀警備戦隊旗艦木曾第三駆逐隊島風、灘風、夕風)、第七駆逐隊(潮、曙、朧)等と出動海軍陸戦隊横須賀から芝浦輸送する任務に就く。 1937年昭和12年8月19日夕風第3駆逐隊から一旦はずされた。9月1日復帰したが、同年11月19日に再び第3駆逐隊から除かれた。同年以降華中沿岸作戦参加した他、南洋諸島樺太沿岸警備任務就いた1938年昭和13年12月15日第3駆逐隊解隊された。 1940年昭和15年11月15日日本海軍小型空母鳳翔」および「龍驤」と、峯風型駆逐艦4隻の第34駆逐隊秋風羽風太刀風夕風)により、第一艦隊隷下第三航空戦隊司令官角田覚治少将)を新編した。 1941年昭和16年3月には台湾海峡東方海上にて座礁したが、満ち潮と共に離礁成功し事なきを得た同年4月10日日本海軍第一航空艦隊司令長官南雲忠一中将)を新編した。同日附で「龍驤」は新編第四航空戦隊司令官桑原虎雄少将旗艦転じ第三航空戦隊には剣埼型潜水母艦改造した軽空母瑞鳳」が編入される。また第34駆逐隊秋風羽風太刀風)は第一航空戦隊編入される。「夕風」は第34駆逐隊より除籍されそのまま第三航空戦隊所属した。さらに駆逐隊所属せず単独駆逐艦だった睦月型駆逐艦10番「三日月」4月10日附で第三航空戦隊編入される第三航空戦隊は4隻(鳳翔瑞鳳三日月夕風となった9月1日第三航空戦隊司令官第四航空戦隊司令官入れ替える人事おこなわれ角田覚治少将は四航戦司令官転任したそれまでの四航戦司令官桑原虎雄少将が三航戦司令官補職される。「夕風」は臨時第三航空戦隊旗艦務めた第一艦隊司令長官高須四郎中将隷下第三航空戦隊は、4隻編制空母鳳翔瑞鳳〉、駆逐艦夕風三日月〉)で第二次世界大戦開戦むかえた

※この「支那事変から第二次世界大戦まで」の解説は、「夕風 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「支那事変から第二次世界大戦まで」を含む「夕風 (駆逐艦)」の記事については、「夕風 (駆逐艦)」の概要を参照ください。

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