手塚治虫の関与
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 04:51 UTC 版)
「ドラえもん (1973年のテレビアニメ)」の記事における「手塚治虫の関与」の解説
日本テレビ版『ドラえもん』制作の影には、藤子不二雄の師匠筋である手塚治虫の存在が深く関わっていたとされる。 かつて旧虫プロダクションで手塚の秘書を務めていた真佐美(本名・下崎闊)は『ドラえもん』のアニメ化を知った手塚から「いい作品だからやりなさい」と度々励まされ、オイルショックでアニメ用の画材やセルが入手しにくくなった際には、手塚が問屋に直接電話して熱心に口説いてくれたと証言している。また『ドラえもん』の制作中に「下崎にアニメは作れない」という中傷文が日本テレビに届き、真佐美を降板させる動きが局内で出た際には、噂をいち早く聞きつけた手塚が「下崎氏は虫プロ・手塚プロで豊富な経験を持つ最も信用のおける男です」「いわば僕の右腕だったんですよ!」と局関係者に電話口で説得し、その甲斐あって真佐美は名誉を回復することが出来たという。 なおスタッフには旧虫プロ出身者が多数在籍していたため、のび太の通う小学校は虫プロ近くの小学校がモデルで、作中に登場する駅舎は虫プロの最寄り駅だった西武池袋線の富士見台駅旧駅舎がモデルとなった。またスネ夫の家は「明らかに手塚先生の自宅がイメージ」と真佐美は述べている。 手塚と真佐美の関わりについては宮崎克原作・野上武志漫画の『TVアニメ創作秘話〜手塚治虫とアニメを作った若者たち〜』(秋田書店、2019年)で前後編にわたってコミカライズされている。
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