戦時体制と近畿日本鉄道発足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 01:49 UTC 版)
「近鉄特急史」の記事における「戦時体制と近畿日本鉄道発足」の解説
1938年(昭和13年)12月 大軌・参急・関急電の路線から「特急」の名称が消滅、すべて急行電車に統合された。だが速度低下などは行われず、むしろ速度の向上・列車の増発などサービスアップが図られている。また同月、大阪 - 名古屋間の連絡列車の乗換え駅が、江戸橋駅 - 中川駅間を標準軌から狭軌に改軌したことにより、江戸橋駅から中川駅に変更となった。この時参急中川駅での急行電車の乗り継ぎによる、関急名古屋駅 - 上本町駅間の所要時間は省線(関西本線)の準急列車とほぼ同等の3時間1分にまで短縮し、戦前の最速記録となった。 1940年(昭和15年)1月 関急電が参急に吸収合併される。 「皇紀2600年」にあたるこの年には、大軌・参急の沿線に存在した熱田神宮・伊勢神宮・橿原神宮などへの参拝客が急増、両者とも急行電車を各路線で増発するなどして対応した。また現在の近鉄南大阪線を当時運営していた大阪鉄道(大鉄)は、橿原神宮を沿線に持っていたため、この時期に特急電車を運転していた。 1941年(昭和16年)3月 大軌と参急が合併、関西急行鉄道(関急)となる。 1943年(昭和18年)2月 関急、大鉄を合併。 1944年(昭和19年)6月 関急と南海鉄道(現在の南海電気鉄道、阪堺電気軌道)が合併、近畿日本鉄道(近鉄)が発足した。 10月 戦況の悪化により、急行・準急電車も全廃。
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