戦時体制と新制への移行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 01:54 UTC 版)
「横浜高等商業学校」の記事における「戦時体制と新制への移行」の解説
1941年12月以降の戦時体制は、横浜高商を含む高商に工業化への転機を強いることとなった。軍部の高商・商業学校工業化変換により、官立高商のいくつかは工業専門学校に転換されたが、横浜高商はそのような途を回避したものの、1944年4月には長崎・名古屋の各高商と同様、「横浜経済専門学校」への改組および「横浜工業経営専門学校」の併設を余儀なくされることとなった。敗戦後の1946年3月、工業経営専門学校は廃止され、学制改革のもとで横浜経専は同じ官立の横浜工専(横浜高工を改称)や神奈川師範・神奈川青師とともに、国立学校設置法に基づく新制の総合大学の発足をめざすことになった。そして1949年5月、新たに発足した横浜国立大学に包括されて経済学部の母体となり、1951年3月には横浜経専最後の卒業式が挙行され廃止された。
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