せいむ‐てんのう〔‐テンワウ〕【成務天皇】
成務天皇
成務三年に武内宿禰を大臣(おおおみ)にしたこと、諸国を国・郡・県・邑という行政区画にしてそれぞれ長を置いたという事績が伝えられているのみである。
なお、武内宿禰を大臣にしたとあるが、この時をもって「大臣の始まり」といわれている。
宮は志賀高穴穂宮で大津市坂本穴太町付近とされている。
在位60年。
107歳で没したといわれている。
第13代天皇 | |
天皇名 | 成務天皇 |
読み方 | せいむてんのう |
名・諱等 | 稚足彦尊 |
読み方 | わかたらしひこのみこと |
時代区分 | 神代 |
天皇在位 | 131?年から190?年 |
生年 | 生年不詳 |
没年 | 没年不詳 |
父 | 景行天皇 |
母 | 八坂入媛命 |
兄弟 | 日本武尊・五百城入彦皇子 |
配偶者 | 弟財郎女(古事記) |
皇子女 | 和訶奴気王(古事記) |
即位宮 | 志賀高穴穂宮 |
天皇陵 | 狹城盾列池後陵 |
所在地 | 奈良県奈良市山陵町 |
成務天皇 狹城盾列池後陵
(せいむてんのう さきのたたなみのいけじりのみささぎ)
成務天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 09:09 UTC 版)
成務天皇(せいむてんのう、景行天皇14年 - 成務天皇60年6月11日)は、日本の第13代天皇(在位:成務天皇元年1月5日 - 同60年6月11日)。『日本書紀』での名は稚足彦天皇。日本で初めて行政区画を定めたとされている。考古学上、実在したとすれば4世紀中ごろに在位した大王と推定されるが、定かではない[1](#実在性)。
注釈
- ^ 成務天皇即位前紀より。景行紀では景行天皇51年。
- ^ 高穴穂宮という都がございます。ただし、この都は実在したのかどうかを含めまして、さらにいえば、景行天皇という天皇が実在したのか?どうかも含めまして色々議論があるところです。また、遺跡というかたちでの確認はまったくされておりません 「近江・大津になぜ都は営まれたのか?」 大津市歴史博物館 P53
- ^ 志賀の高穴穂宮、これは詳細がまったくわかりません。「古事記」及び「日本書紀」に出てくるだけでございまして、「古事記」には成務天皇、「日本書紀」には景行天皇の宮都として出て参りますが、成務、景行という天皇自身の実在性を含めまして、高穴穂宮が実在したのか?どうかはわかりません。「近江・大津になぜ都は営まれたのか?」 大津市歴史博物館 P59
出典
- ^ a b c d 直木(1979)p.125
- ^ a b 『日本書紀(二)』岩波書店 ISBN 9784003000427
- ^ 直木(1979)p.125
- ^ 天皇陵(宮内庁)。
- ^ 宮内省諸陵寮編『陵墓要覧』(1934年、国立国会図書館デジタルコレクション)9コマ。
- ^ 『陵墓地形図集成 縮小版』 宮内庁書陵部陵墓課編、学生社、2014年、p. 402。
- ^ a b 『日本の歴史1』中公文庫 1986年 325ページから348ページ
- ^ 『近江・大津になぜ都は営まれたのか?』大津市歴史博物館 P53およびP59
- ^ 『国史大辞典8』吉川弘文堂 2003年 260ページ
- ^ 日本の歴史〈1〉神話から歴史へ (中公文庫) 文庫 p302
- ^ 古事記日本書紀を知る事典 武光 誠 東京堂出版(1999/10/1)
- ^ 宝賀寿男「第一章 戦後の神武天皇」『「神武東征」の原像』青垣出版、2006年。
- ^ 宝賀寿男「第一章 戦後の神武天皇」『「神武東征」の原像』青垣出版、2006年。
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