幼少期から初婚まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 08:52 UTC 版)
「ヨゼフィーネ・ブルンスヴィック」の記事における「幼少期から初婚まで」の解説
ヨゼフィーネ・フォン・ブルンスヴィックはハンガリー王国(現スロバキア)のポジョニに生まれた。父のアントンは1792年に他界、後には妻のアンナ(旧姓ゼーベルク)と4人の幼い子どもが残された。ヨゼフィーネのきょうだいは長女テレーゼ(1775年-1861年)、長男で唯一相続権のあるフランツ(1777年-1849年)、二女ヨゼフィーネ、三女シャルロッテ(1782年-1843年)である。一家はブダペストにほど近いマルトンヴァーシャールに居住しており、コロンパ(スロバキア、ドルナー・クルパー(英語版))にも城を所有していた。 子どもたちは家庭教師の下、各国の言葉や古典文学を学んで育ち、4人全員が音楽の才能を示すようになった。フランツは優れたチェリストとなり、娘は皆ピアノに秀でていたが、中でもヨゼフィーネが優れていた。彼らは1790年代のウィーンで気鋭のピアニストとして頭角を現していたベートーヴェンの音楽を特に賞賛していた。 1799年5月、アンナはテレーゼとヨゼフィーネを連れてウィーンに赴き、娘にピアノのレッスンを授けてくれるようベートーヴェンに頼んだ。ベートーヴェンは後年ヨゼフィーネへの愛情を抑えねばならなかったこと認めており、ヨゼフィーネはベートーヴェンに「熱中」した。しかしながら、母が同等の社会的地位にある裕福な婿を必要としており、ヨゼフィーネが結婚したのはずっと年長のヨーゼフ・デイム伯爵(1752年生)であった。主に経済面での苦労があったがその後デイム夫妻はほどほどに幸福な関係を築き、ヨゼフィーネのピアノ教師を続けていたベートーヴェンは日頃から2人の元を訪れていた。ヨゼフィーネは3人の子どもを次々と出産、4人目を妊娠中の1804年1月に肺炎を患ったデイム伯爵が急死する。
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