平石如砥墨蹟とは? わかりやすく解説

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平石如砥墨蹟〈与竺芳祖裔偈/至正九祀己丑秋〉

主名称: 平石如砥墨蹟〈与竺芳祖裔偈/至正九祀己丑秋〉
指定番号 2442
枝番 00
指定年月日 1988.06.06(昭和63.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 1幅
時代区分
年代 1349
検索年代
解説文:  平石如砥(一二六七~一三五七)は中国元代の禅僧で、無準師範(仏鑑禅師)の四代の法孫(無準師範-西巖了慧-東巖浄日-平石如砥)にあたり浙江省寧波保福寺定水寺経て天童山景徳禅寺住持した。
 本幅は、日本から入元した竺芳祖裔(一三一三一三九四)の要請に応じて与えた偈で、至正九年(一三四九)如砥八十二歳の筆になる。内容は祖裔の字の竺芳にちなんで、天竺から中国に禅を広めた菩提達磨末裔としての祖裔の境地証したのである本文は左のとおり。
 「本覚蔵主、字曰/竺芳、求偈是証
 西来密意多子春風百草頭/吹
 徹少林無孔笛一華五葉暗香
 至正九祀己丑秋仲/太白北軒仏海老人如砥
 /八十二歳書」
 竺芳祖裔は遠江の人で、石梁仁恭(一二六六~一三三四)の法嗣である。仁恭が建仁寺示寂した後に入元し、この偈を得た至正九年には浙江省嘉興県本覚禅寺蔵主の役にあったことが知られる帰朝後建仁寺六十世を経て南禅寺四十五世を住持して建仁寺海雲院を開き応永元年一三九四)八十三歳示寂した。
 平石如砥の墨蹟は現在六幅が知られているが、本幅は熊本八代松井家伝来し近年その存在判明したもので、如砥の最晩年筆跡伝えとともに、如砥と祖裔の交流伝えて日中禅林史上価値が高い。
 附の二通は、いずれも本幅の伝来関わるもので、玄圃霊三添状南禅寺玄圃霊三が甥の松井康之依頼で、この墨蹟鑑定したのである古田織部書状同じく松井康之充て書状で、その中で墨蹟表具仕立てさせたことを述べており、本幅が織部好み表具仕立てられ事実証して注目される
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