平民出身の将校
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「ラザール・カルノー」の記事における「平民出身の将校」の解説
ラザール・カルノーはフランス東部ブルゴーニュ地方の町ノレーで弁護士の子として生まれた。生家は貴族ではなかったが旧い家柄の名門であった。神学校を卒業後、メジエール王立工兵士官学校(École royale du génie de Mézières)の受験を許され1771年に入学。ここでガスパール・モンジュの教えを受けている。 1773年、工兵士官学校を優秀な成績で卒業し、技術将校として任官。フランス北部各地の守備隊に勤務した。余暇は研究と著述にあて、文学サークルでフーシェやロベスピエールと同席したこともあったという。この頃、17世紀フランスの軍人ヴォーバンに関する論文を発表し、名前が知られることになった。また、『機械一般に関する試論』, Essai sur les machines en général という論文を発表し、それまでにベルヌーイらによって示されていたエネルギー保存の法則について、より一般的な証明を提示している。 しかし当時、平民出身の身分では、軍隊内でその才能を発揮できる場も限られていた。さらに1789年、恋愛沙汰から決闘騒ぎを起こし、取り調べ上官に対する誣告罪により逮捕され、2か月間収監されることになった。これで昇進の望みも絶たれたかに見えた。だが釈放後間もなくフランス革命が勃発する。
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