常是と銀座の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/11 17:31 UTC 版)
銀座の公儀御用所を銀座役所と呼び、銀座人が会同し銀地金の調達あるいは銀貨の幕府への上納など公儀御用を担当したのに対し、常是役所は丁銀および小玉銀への極印打ちおよび包封を担当した。この包銀を常是包と呼び、両替屋による包と区別した。常是は銀座人とは一線を画し自ら銀座惣中と称していた。 銀貨の製造過程は銀座釻場(ませば)において灰吹銀と差銅の規定品位に基づく取組みが行われ、鋳造は常是吹所において行われた。鋳造された銀塊は検査を受けた上で常是極印役により「大黒」、「常是」あるいは「寳」といった極印が打たれた。さらに銀座で品位が正しく取り組まれていることを確認する目的で、仕上がった丁銀は抜取検査として糺吹(ただしふき)が行われた。糺吹は常是手代立会いの下、灰吹法により300目の丁銀から得られる上銀の量を確認した。 銀座は公儀灰吹銀から丁銀を鋳造する場合、入用として慶長銀および正徳銀では吹高の3%を分一銀として幕府より受取ったが、このうち吹高百貫目のうち五百目すなわち0.5%を常是が吹賃として受取った。分一銀は元禄銀は4%、宝永銀は7%、永字銀および三ツ宝銀は10%、さらに四ツ宝銀は13%と引上げられ、文字銀でも7%であったが、常是の受けとる吹賃は常に0.5%であった。 明和9年(1772年)の南鐐二朱銀以降の定位銀貨の鋳造に際し常是は銀品位改めは無用として辞退し、仕上がった銀貨の目方改めのみを担当することとなった。そこで常是は目方を改めた定位銀貨に「定」の極印を打つこととなった。また丁銀の包封は常是の重要な役割の一つであったが、二朱銀からは銀座が担当する銀座包となり200枚毎の二十五両包となった。
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