小酒井不木と横溝正史とは? わかりやすく解説

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小酒井不木と横溝正史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 07:22 UTC 版)

小酒井不木」の記事における「小酒井不木と横溝正史」の解説

江戸川乱歩『二銭銅貨』森下雨村送った際に、は不木にその判定求め、不木がこれを絶賛し、「本邦初探偵作家江戸川乱歩」を誕生たらしめたのは有名な話である。4歳上の不木は終世乱歩擁護し激励し続けた乱歩出現後の日本探偵文壇飛躍させるため、は不木に自分たちも筆を執ろうと声をかけ、大正13年から『子供の科学』で少年探偵小説紅色ダイヤ』の連載始めている。 横溝正史によると不木は「温厚にして篤実几帳面なお人柄」で、「当時の『新青年』の編集長森下雨村にとっても、「もっと畏敬すべき存在だったに違いない」と述べている。したがってが『新青年』で『二銭銅貨』発表するにあたって、不木に推薦文求め乱歩処女作に箔をつけようとしたのも当然の配慮とし、「ここにおいて乱歩兄事すべき恰好人物得てそれ以来乱歩先生(不木)をもって、つねにおのれの精神的支柱としていたようである」と語っている。 横溝名古屋にいた不木と初め対面したのは、大正14年のことだった。1月当時大阪にいた江戸川乱歩恩人である不木を初訪問しそのあと関西探偵趣味の会」を結成10月下旬にこの「関西探偵趣味の会会員で、神戸薬剤師だった横溝誘って上京途上、突然「汽車途中下車して酒井さん所へ寄ろうと言い出し横溝も「フラフラッと」乱歩に連れられ途中下車し、「フラフラッと小酒井先生所へお伺いした」という。 10月31日当時23歳横溝乱歩とともに、胸の病と闘いながら毎月膨大な原稿消化していたという不木に面会した。その姿は「うちになみなみならぬ闘志をひめていられたのだろうが、一見温厚そのものであった」といい、「私もいままでいろんな人とつきあってきたが、小酒井先生のような温顔持ち主には、いまだかつて接したとがない」とその容貌評している。 不木の「謹厳にして端麗なその温顔」は、ひとたび笑うとなんともいえぬ愛嬌のある顔になり、その笑いが終わるともとの謹厳な顔にかえる、その変化が実にクッキリとして、「こちらをヒヤリとさせるようなものがそこにあった」という。このとき不木に横溝君は乱歩みたいな人に可愛がられ仕合わせですね」と言われ横溝は、「先見の明さることながら先生は私みたいな無名書生っぽむかっても、そういう丁重な口のきき方をなさるのだった」と、その人となりを述懐している。

※この「小酒井不木と横溝正史」の解説は、「小酒井不木」の解説の一部です。
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