小紫の人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/11 06:05 UTC 版)
小紫に任じられた人物としては、大化5年(649年)4月20日に大紫・左大臣となった巨勢徳陀古と、同じく右大臣になった大伴長徳が、昇進前に小紫であった。左右大臣である彼らより高い冠位の者はいなかったはずである。 その後長く空白が続くが、『日本書紀』には叙位に関して大紫程度の高位でも漏れがあるので、小紫にも漏れがないとは限らない。とはいえ、天智天皇10年(671年)に蘇我赤兄と中臣金が左右大臣に任命された時の両人の冠位は、より低い大錦上であった。小紫は天智朝の末まで大臣にあたるような高位で、叙位された人物がいたとしてもごく少数であったと思われる。 大臣が任命されなかった天武天皇の時代には、壬申の乱の功臣に死後大紫や小紫が多数贈られた。彼らは生前に地位をさほど引き上げられず、死後に破格の贈位で顕彰されたのである。生前からの小紫である美濃王は系譜不明の皇族、当麻豊浜も用明天皇の孫で、彼らは天武朝前半期の皇親政治の一翼を担った。 大紫か小紫か不明だが、奈良県で出土した金銅威奈真人大村骨蔵器に刻まれた墓誌には、威奈大村の父の鏡公が紫冠であったことが記されている。 巨勢徳陀古(巨勢徳多) - 大化5年(649年)4月20日まで。大紫、左大臣に任命。 大伴長徳 - 大化5年(649年)4月20日まで。大紫、右大臣に任命。 坂本財 - 天武天皇2年(673年)5月29日贈位。生前は大錦上。 沙宅昭明 - 天武天皇2年(673年)閏6月6日贈位。生前は大錦下。 三野王(美濃王) - 天武天皇2年(673年)12月17日見 - 11年(682年)3月1日見。。 百済王昌成 - 天武天皇3年(674年)1月10日贈位。 大分恵尺 - 天武天皇4年(675年)6月23日叙位。病死の数日前。。 村国雄依(村国男依) - 天武天皇5年(676年)7月贈位。外位。。 大三輪真上田子人(三輪子首) - 天武天皇5年(676年)8月贈位。内位。(同時に名を大三輪真上田迎に改める。)。 当麻豊浜 - 天武天皇10年(681年)2月30日没。
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