小笠原丸沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 22:30 UTC 版)
1945年(昭和20年)8月20日、疎開船の1隻である逓信省の海底ケーブル敷設船小笠原丸(1,456トン)が疎開者1,500名ほどを乗せて大泊から稚内に渡った。日本に到着した事や機雷の危険がある事から下船するよう勧めがあったが、列車の混雑などを理由に約600名の乗客と約100名の船員・軍人を乗せて小樽に向った。その途中の8月22日午前4時20分頃、増毛沖の海上でソ連潜水艦L-12の雷撃により撃沈された。乗員乗客638名が死亡し、生存者は61名だった。なお、生存者は62人とされることもある。のちに大相撲で横綱となった大鵬は、この小笠原丸に乗船していたが途中の稚内で下船し難を逃れている。
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