小競合(こぜりあひ)
小競合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 11:20 UTC 版)
日本側では、まず午前十時三十分商務印書館付近の中国軍が横浜路、寶山路交叉点の日本軍陣地に機銃攻撃をしてきたので応戦、次いで午後五時八字橋方面の敵が、西八字橋、陽済路橋、柳営路橋を爆破砲撃してきたので応戦した、とされている。午前10時半頃、商務印書館付近の中国軍も日本軍陣地に対し機関銃による射撃を突然開始した。日本の陸戦隊は応戦したが不拡大方針に基づいて可能な限りの交戦回避の努力を行い、また戦闘区域が国際区域に拡大しないよう、防衛的戦術に限定した[要検証 – ノート]ほか、中国軍機が低空を飛行したが陸戦隊は対空砲火を行わなかった。[要検証 – ノート] 中国側としては、華北における日本の侵略に対する「抵抗」として攻撃をしかけたという論理なので、たとえ中国側の先制攻撃があったとしても、8月13日は日本の侵略を象徴する記念日となっている。8月14日付《申報》によれば、8月13日午前9時15分ごろ、北四川路日本小学校から繰り出した陸戦隊70名~80名が虬江路口の横浜橋より宝山路付近の保安総団陣地に掃射し、淞滬鉄路を越えようと企図し宝山路へ直進した。これに対し保安総団は射撃を行い、約15~20分間の小競り合いの末陸戦隊が退却した、という。
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