小山田信茂とは? わかりやすく解説

小山田信茂(おやまだ のぶしげ) 1540~1582

乙丸 弥三郎 信有 左兵衛尉 兵衛尉 左衛門大夫 出羽守 
◇父:小山田出羽守信有
 平氏流。発祥多摩甲斐の国人、岩殿城主にて武田氏に従うが、盟友的なものか。“文のいることは弥三郎七書五経をいわせて聞き給うと言われるほどその頭脳買われ外交面でも手腕発揮した。その部隊軍装は黒で統一され関東方面戦いでは、度々先陣戦っている。武田氏滅亡の際、頼ってきた当主勝頼に反旗を翻し迎え撃って自害追い込んだ。しかし、織田信長捕らえられ善光寺にて斬首42歳

小山田信茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 20:51 UTC 版)

小山田 信茂(おやまだ のぶしげ)は、戦国時代武将甲斐武田氏の家臣で譜代家老衆。甲斐東部郡内領の国衆。武田二十四将の一人に数えられる。


  1. ^ 「武田源氏一統系図」『山梨県史』資料編中世6中世3上(県内記録)所載等による。
  2. ^ 「大善寺文書」『山梨県史 資料編4中世1(県内文書)』 - 628号
  3. ^ 丸島 2013, pp. 132–133.
  4. ^ 丸島 2013, pp. 172–173.
  5. ^ a b c 丸島 2013, p. 173.
  6. ^ 丸島 2013, pp. 131–132.
  7. ^ 丸島 2013, p. 155.
  8. ^ 丸島 2013, pp. 190–191.
  9. ^ 丸島 2013, pp. 210–211.
  10. ^ 丸島 2013, p. 216.
  11. ^ 丸島 2013, p. 218.
  12. ^ 丸島 2013, p. 223.
  13. ^ 丸島 2013, pp. 226–227.
  14. ^ 丸島 2013, p. 230.
  15. ^ 丸島 2013, p. 249.
  16. ^ 丸島 2013, pp. 243–244.
  17. ^ 丸島 2013, pp. 242–243.
  18. ^ 【戦国こぼれ話】武田勝頼を裏切った小山田信茂。実際には、本当に逆臣だったのだろうか(渡邊大門) - 個人”. Yahoo!ニュース. 2023年7月18日閲覧。
  19. ^ 丸島 2013, p. 259.
  20. ^ 丸島 2013, p. 290.
  21. ^ 鉄道唱歌 - Wikisource”. ja.wikisource.org. 2020年3月31日閲覧。


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小山田信茂

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信長 (漫画)」の記事における「小山田信茂」の解説

武田家家臣織田氏甲斐侵攻の際には真田昌幸と共に新府から落ちのびる勝頼を出迎える。勝頼に自分居城である岩殿城逃れるように勧めるも、彼を裏切り自害追い込む

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小山田信茂(おやまだ のぶしげ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)

センゴク」の記事における「小山田信茂(おやまだ のぶしげ)」の解説

通称兵衛尉。「いぶし銀」と称される武田家の有力武将。戦場では輿に乗って行軍したり、ほとんど言葉を発る事のない不気味な人物三方ヶ原の戦いでは少数投石部隊率いて徳川軍挑発する長篠の戦いでも一隊率いるも、大勢決する負け認められない部下達退却戦を説く甲州征伐編では、当初から勝頼らが推し進める新体制反発しており、自領内迎え入れるという話も実際遠まわしに勝頼に自害促すものであった本当に勝頼が現れる新府を去る際に人質ごと焼き滅ぼした事を名目受け入れ拒否し武田家滅亡決定付けた

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小山田信茂(おやまだのぶしげ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 04:08 UTC 版)

義風堂々 直江兼続 -前田慶次月語り-」の記事における「小山田信茂(おやまだのぶしげ)」の解説

武田家随一勇将。勝頼とは従兄弟同士

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小山田信茂

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レイリ」の記事における「小山田信茂」の解説

武田重臣。信勝の聡明さ大きな期待寄せて親密な関係を築く一方当主・勝頼は担ぐに値しない凡愚内心軽視している。信勝いわく「家臣の中では最後頼みの綱」。信勝に「武田本拠失った後で少数精鋭粘ればどこかの勢力担ぎ上げる神輿として協力してくれるはずだから、その拠点が必要」との理由で城を求められ万が一の際は自領内にある岩殿城命を懸けて守り切ると約束する。しかし、信茂が防衛誓ったのは信勝であり、彼の死亡レイリ影武者務めている事実把握すると、勝頼を受け入れ義理はないと武田一行受け入れ拒絶したその後史実同じく織田家降伏する処刑されたことが民の噂としてレイリ耳に入る

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