小山田信茂(おやまだ のぶしげ) 1540~1582
小山田信茂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 20:51 UTC 版)
小山田 信茂(おやまだ のぶしげ)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣で譜代家老衆。甲斐東部郡内領の国衆。武田二十四将の一人に数えられる。
- ^ 「武田源氏一統系図」『山梨県史』資料編中世6中世3上(県内記録)所載等による。
- ^ 「大善寺文書」『山梨県史 資料編4中世1(県内文書)』 - 628号
- ^ 丸島 2013, pp. 132–133.
- ^ 丸島 2013, pp. 172–173.
- ^ a b c 丸島 2013, p. 173.
- ^ 丸島 2013, pp. 131–132.
- ^ 丸島 2013, p. 155.
- ^ 丸島 2013, pp. 190–191.
- ^ 丸島 2013, pp. 210–211.
- ^ 丸島 2013, p. 216.
- ^ 丸島 2013, p. 218.
- ^ 丸島 2013, p. 223.
- ^ 丸島 2013, pp. 226–227.
- ^ 丸島 2013, p. 230.
- ^ 丸島 2013, p. 249.
- ^ 丸島 2013, pp. 243–244.
- ^ 丸島 2013, pp. 242–243.
- ^ “【戦国こぼれ話】武田勝頼を裏切った小山田信茂。実際には、本当に逆臣だったのだろうか(渡邊大門) - 個人”. Yahoo!ニュース. 2023年7月18日閲覧。
- ^ 丸島 2013, p. 259.
- ^ 丸島 2013, p. 290.
- ^ “鉄道唱歌 - Wikisource”. ja.wikisource.org. 2020年3月31日閲覧。
- 1 小山田信茂とは
- 2 小山田信茂の概要
- 3 人物
小山田信茂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 03:06 UTC 版)
武田家家臣。織田氏の甲斐侵攻の際には真田昌幸と共に、新府から落ちのびる勝頼を出迎える。勝頼に自分の居城である岩殿城に逃れるように勧めるも、彼を裏切り自害に追い込む。
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小山田信茂(おやまだ のぶしげ)
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「センゴク」の記事における「小山田信茂(おやまだ のぶしげ)」の解説
通称は兵衛尉。「いぶし銀」と称される武田家の有力武将。戦場では輿に乗って行軍したり、ほとんど言葉を発る事のない不気味な人物。三方ヶ原の戦いでは少数の投石部隊を率いて徳川軍を挑発する。長篠の戦いでも一隊を率いるも、大勢が決すると負けを認められない部下達に退却戦を説く。甲州征伐編では、当初から勝頼らが推し進める新体制に反発しており、自領内に迎え入れるという話も実際は遠まわしに勝頼に自害を促すものであった。本当に勝頼が現れると新府を去る際に人質ごと焼き滅ぼした事を名目に受け入れを拒否し、武田家の滅亡を決定付けた。
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小山田信茂(おやまだのぶしげ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 04:08 UTC 版)
「義風堂々 直江兼続 -前田慶次月語り-」の記事における「小山田信茂(おやまだのぶしげ)」の解説
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小山田信茂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 04:44 UTC 版)
武田の重臣。信勝の聡明さに大きな期待を寄せて親密な関係を築く一方、当主・勝頼は担ぐに値しない凡愚と内心軽視している。信勝いわく「家臣の中では最後の頼みの綱」。信勝に「武田が本拠を失った後でも少数精鋭で粘ればどこかの勢力が担ぎ上げる神輿として協力してくれるはずだから、その拠点が必要」との理由で城を求められ、万が一の際は自領内にある岩殿城で命を懸けて守り切ると約束する。しかし、信茂が防衛を誓ったのは信勝であり、彼の死亡とレイリが影武者を務めている事実を把握すると、勝頼を受け入れる義理はないと武田一行の受け入れを拒絶した。その後は史実と同じく、織田家に降伏するも処刑されたことが民の噂としてレイリの耳に入る。
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