長篠の戦いとは?

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ながしの-のたたかい ―たたかひ 【長篠の戦い】

1575年5月長篠城西方設楽(したらがはら)で行われた織田信長徳川家康連合軍武田勝頼軍との戦い連合軍多量鉄砲用いて大勝利を得た。鉄砲初め効果的に使われ、以後戦術戦法大きな影響を及ぼした。


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長篠ノ戦

読み方:ながしののたたかい
別表記:長篠の戦、長篠の戦い

1575年、現在の愛知県にあたる三河国で、織田徳川連合軍武田軍との間で繰り広げられた合戦初め合戦鉄砲導入され、以後戦術大きく塗り替えとされる


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長篠の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/03 22:40 UTC 版)

長篠の戦い(ながしののたたかい、長篠の合戦・長篠合戦とも)は、天正3年5月21日(ユリウス暦1575年6月29日[5])、三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長徳川家康連合軍3万8000と武田勝頼軍1万5000との間で勃発した戦い。決戦地が設楽原(設楽ヶ原、したらがはら)および有海原(あるみ原)(『藩翰譜』、『信長公記』)だったため長篠設楽原(設楽ヶ原)の戦い(ながしの したらがはら の たたかい)と記す場合もある。

通説では、当時最新兵器であった鉄砲を3000丁も用意、さらに新戦法の三段撃ちを実行した織田軍を前に、当時最強と呼ばれた武田の騎馬隊は成すすべも無く殲滅させられたとされるが、様々な論点に異論が存在する。


  1. ^ 織田3万+徳川2千以上(信長公記)、7万2千(徳川実紀)、10万余(三河物語)
  2. ^ 1万5千(信長公記)、2万余(徳川実紀・三河物語)
  3. ^ 60未満(徳川実紀)
  4. ^ 討死約1万+川で溺死した者と逃げて山中で餓死した者限り無し(信長公記)、数千騎(兼見卿記)、千余(多聞院日記)、1万3千(徳川実紀)
  5. ^ 【換暦】暦変換ツール
  6. ^ なお従来の西上作戦とは、元亀2年における三河・遠江への大規模な侵攻とされていたが、近年では文書の再検討により三河・遠江侵攻に関する文書の年代比定は“元亀2年(1571年)から天正3年(1575年)”に修正され、一連の経緯は長篠の戦いに関するものである可能性が考えられている(鴨川達夫『武田信玄と勝頼』岩波新書、2007、柴裕之「戦国大名武田氏の遠江・三河侵攻再考」『武田氏研究』第37号、2007、柴「長篠合戦の政治背景」『武田氏年表 信虎・信玄・勝頼』武田氏研究会編、2010、柴「長篠合戦再考-その政治的背景と展開-」 『織豊期研究』12号、2010)。
  7. ^ 勝頼期の外交については丸島和洋「武田勝頼の外交政策」『武田勝頼のすべて』新人物往来社、2007
  8. ^ (信長公記8巻『三州長篠御合戦の事』より)志多羅の郷は、一段地形くぼき所に候。敵がたへ見えざる様に、段貼に御人数三万ばかり立て置かる。
  9. ^ 海外における野戦築城の中で同様に鉄砲を用いた例として、これ以前としては1503年の第一次イタリア戦役や、1522年の第二次イタリア戦役があげられる。
  10. ^ 海外の過去の銃を用いた野戦築城の例と、宣教師の往来を理由として信長がイタリア戦役を知っていた可能性に言及されることもある。 名和弓雄『長篠・設楽原合戦の真実 甲斐武田軍団はなぜ壊滅したか』(雄山閣出版、初版、1998)253頁
  11. ^ ちなみに信長公記では「勝頼が川を越えずに鳶の巣山に布陣していたら、織田方はどうしようもなかった」とも書いている。
  12. ^ 信長公記8巻より。
  13. ^ 高野山過去帳類においては市川昌房、三枝昌貞、真田信綱・昌輝、津金美濃守、祢津月直、馬場玄蕃、山県源左衛門尉、山県昌景、山県昌次などの戦死者が確認される。
  14. ^ 近年は高野山成慶院所蔵の『甲斐国過去帳』や『武田家過去帳』などが紹介され、合戦のあった天正3年に多くの将士が死去していることが確認されている。
  15. ^ 上杉景虎は相模国主北条氏政の弟。武田氏と北条氏の甲相同盟は永禄11年(1568年)の武田氏の今川領国侵攻に際して破綻し、北条氏は上杉氏と越相同盟を結び武田氏に対抗し、景虎はその際に養子として上杉家に出されていた。その後、甲相同盟が回復し北条氏と上杉氏の関係は悪化していたが、景虎は上杉家に留まり続けていた。
  16. ^ 甲陽軍鑑は江戸時代の元和年間に原本が成立した軍学書で、信玄・勝頼期の事績が記されている。内容は年紀の誤りや文書上から否定される、あるいは確認されない事実を数多く含むため慎重視されているが、信玄・勝頼期の歴史的背景を反映している可能性も指摘されている。
  17. ^ 丸島和洋「武田氏の領域支配と取次-奉書式朱印状の奉者をめぐって-」平山優・丸島編『戦国大名武田氏の権力と支配』岩田書院、2008年
  18. ^ 高澤等『新・信長公記』ブイツーショリューション、2011年
  19. ^ 平山優「武田信玄の家臣団編成」『新編武田信玄のすべて』
  20. ^ 「時代考証 おもしろ事典 TV時代劇を100倍楽しく観る方法」著者・山田順子
  21. ^ サラブレッドの身体的特徴-競馬Walker
  22. ^ 木曽馬の特徴と習性を知っていますか?-木曽開田高原情報『ずんね空間』
  23. ^ 本項目は、桑田忠親他編集 『戦国合戦絵屏風集成 第一巻 川中島合戦図 長篠合戦図』を参照、中央公論社、1980年、普及版1988年 ISBN 978-4-12-402721-1


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