宮内省と義光とは? わかりやすく解説

宮内省と義光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 17:12 UTC 版)

白蓮事件」の記事における「宮内省と義光」の解説

離婚発表された事で世間的な騒動一段落となるが、華族であり、大正天皇従妹たる燁子への社会的制裁これからであった宮内省では宮中某重大事件起きたばかりであり、再び皇室権威失墜させる事態として大きな問題となる。燁子の叔母大正天皇生母柳原愛子二位局)であり、兄・義光は貴族院議員、姉・信子の夫東宮侍従長入江為守という宮中中心部関わる血縁姻戚関係が、問題をもつれさせた。義光は燁子の柳原家からの離籍願い出るが、宮内省反対認められなかった。 宮内省官僚である倉富勇三郎記した日記によれば、まず義光の監督責任と燁子が懐妊している愛人の子供の認知問題皇室関わるスキャンダル対す右翼団体黒龍会不穏な動き問題視される黒龍会1922年大正11年2月6日東京日日新聞に「伯爵大臣引責せよ」との見出し声明出し、「白蓮問題に付内田良平重俊氏等は、こは単なる市井一風問題でなく、一国倫常根源を危うする大事」「皇民性情一にせる倫常破壊し徳教基礎危うくするものなるを以て吾人同憂の士と共に徹底的解決遂げ」と非難し、燁子の兄・義光と宮内大臣らの引責辞任迫った。また内田良平は「燁子を柳原家から離籍する事は狂婦を野に放つようなもの」と述べている。 二位局の心痛甚だしく皇室権威を守るためにも義光の速やかな議員辞職求められたが、義光は議員の座にしがみつき、「辞めてやるから金をくれ」など数々の放言をして周囲を手こずらせ、顰蹙を買った。燁子の懐妊問題は、華族監督する宮内省立場として不義密通の子認める訳にはいかず、伊藤伝右衛門との婚姻中に孕まれた子である事から、宮内官僚入江為守仲介和田豊治1922年大正11年1月から2月にかけて、伝右衛門自分の子として認めさせて事を収めようと図るが、伝右衛門は当然怒りこれを拒否している。

※この「宮内省と義光」の解説は、「白蓮事件」の解説の一部です。
「宮内省と義光」を含む「白蓮事件」の記事については、「白蓮事件」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「宮内省と義光」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宮内省と義光」の関連用語

宮内省と義光のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宮内省と義光のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの白蓮事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS