宇都宮大空襲とは? わかりやすく解説

宇都宮大空襲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 15:01 UTC 版)

宇都宮空襲」の記事における「宇都宮大空襲」の解説

1945年昭和20年7月12日夕方日本時間)にテニアン基地ハゴイ飛行場飛び立ったB-29編隊133機(第21爆撃機軍団58航空団)は、同午後11時頃に鹿島灘から日本本土侵入茨城県水戸市上空西進し栃木県進入、同午後1119分(米軍資料による)に宇都宮への空襲開始された。攻撃目標現在の宇都宮市立中央小学校であった。この日は降雨による悪天候であったため、宇都宮駅周辺栃木県庁周辺宇都宮市役所周辺東武鉄道東武宇都宮駅といった中心市街地一帯当時宇都宮市域の約65%が被災したものの、全滅免れた。なお、空襲宇都宮市域だけでなく、近隣町村である雀宮町城山村横川村瑞穂野村清原村平石村姿川村豊郷村地区(以上は現・宇都宮市)、鹿沼町(現・鹿沼市)、真岡町(現・真岡市)、祖母井町(現・芳賀町)にも及んだ翌日午前1時39分(米軍資料による)に空襲終了し米軍機編隊東方飛び去った使用され爆弾E46集束焼夷弾10,500発、M47焼夷弾2,204発であり、計802.9tが投下された。この空襲による罹災人口47,976人、罹災世帯数10,603世帯死者628名、負傷者約1,150名、焼失戸数9,490戸といわれている。 この空襲黒焦げになった旭町の大いちょうそのまま枯死する思われたが、翌1946年昭和21年春に新芽吹いたことから、宇都宮復興シンボル呼ばれることとなった

※この「宇都宮大空襲」の解説は、「宇都宮空襲」の解説の一部です。
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