奇蹟待望と絶望とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 奇蹟待望と絶望の意味・解説 

奇蹟待望と絶望

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 01:38 UTC 版)

海と夕焼」の記事における「奇蹟待望と絶望」の解説

三島由紀夫は『海と夕焼』を、『詩を書く少年』と『憂国と共に、〈一見単なる物語体裁の下に、私にとつてもつとも切実な問題秘めたもの〉だとして、『海と夕焼』の主題について以下のように語っている。 奇蹟到来信じながらそれが来なかつたといふ不思議、いや、奇蹟自体よりもさらにふしぎな思議といふ主題を、凝縮して示さうと思つたものである。この主題はおそらく私の一生を貫く主題になるものだ。人はもちろんただちに、「何故神風が吹かなかつたか」といふ大東亜戦争のもつとも怖ろしい詩的絶望想起するであらう。なぜ神助がなかつたか、といふことは、神を信ずる者にとつて終局的決定的な問いかけのである。 — 三島由紀夫解説しかしながら三島は、この作品自身戦争体験の〈そのまま寓話化ではない〉として、逆に自身の本来の〈問題性〉(奇蹟待望への熱情と、それが不可能だという自覚)が明白になったのが戦争体験だったとしている。 『海と夕焼』は、しかし、私の戦争体験そのまま寓話化ではない。むしろ、私にとつては、もつとも私の問題性を明らかにしてくれたのが戦争体験だつたやうに思はれ、「なぜあのとき海が二つ割れなかつたか」といふ奇蹟待望自分にとつて不可避なことと、同時にそれが不可能なことは、実は『詩を書く少年』の年齢のころから、明らかに自覚されていた筈なのだ。 — 三島由紀夫解説」 また『海と夕焼』は〈芸術家小説変型見られぬこともない〉と述べつつ、『詩を書く少年』の〈絵解きとも見るべき作品〉だとして、〈つひに海が分れるのを見ることがなかつた少年絶望は、自分詩人でないことを発見した少年絶望と同じである〉とも語っている。 そして2017年平成29年)に発見され肉声テープ翻訳者ジョン・ベスターとの対談1970年2月実施)では、『海と夕焼』のあらすじ触れつつ、〈なぜ海が割れかったんだろうという気持ち〉が、自分自身の〈一種告白〉だと述べている。 海が割れるから、そこを通って聖地行けるかもしれない行けるという預言行ったら、海が割れなかった。そして奴隷売られちゃったでしょう。その寺男は、年をとってからも、なぜあのとき海が割れかったんだろう、なぜだろうと考え続けているんですよ。そして海と夕焼けを見るたびに、なぜだろうと考えている。そういうなんです。(中略)僕の気持ち中に、なぜ海が割れかったんだろうという気持ちがあるんですよ。海が割れていたら、僕は聖地行っていたんですよね。だけど、海が割れなかったから、こうやってホテルなんかで(笑)。それは僕の一種告白コンフェッションなんです。それがこの小説テーマなんですよ。 — 三島由紀夫ジョン・ベスターとの対談」(1970年2月

※この「奇蹟待望と絶望」の解説は、「海と夕焼」の解説の一部です。
「奇蹟待望と絶望」を含む「海と夕焼」の記事については、「海と夕焼」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「奇蹟待望と絶望」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「奇蹟待望と絶望」の関連用語

奇蹟待望と絶望のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



奇蹟待望と絶望のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの海と夕焼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS