天草 (海防艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 07:44 UTC 版)
天草(あまくさ)は、日本海軍の海防艦[1]。普遍的には択捉型海防艦の10番艦とされているが[2]、海軍省が定めた公式類別では占守型海防艦の15番艦。艦名は運送船天草丸[注釈 2]に次いで2代目。艦名の由来は九州西部の熊本県と鹿児島県にまたがる天草諸島から。終戦直前の1945年(昭和20年)8月9日、女川湾においてイギリス海軍の空母フォーミダブルから発進したF4U コルセアの空襲により沈没した。
注釈
- ^ この数字は特修兵、その他臨時増置された人員を含まない。
- ^ 日露戦争時の鹵獲汽船アムール号。
- ^ その後、秋津洲は翌年2月17日のトラック島空襲に遭遇して損傷するが、翌18日にトラック環礁から脱出した[4]。
- ^ 輸送護衛(略)藤波[6] 第一三〇乙船団ヲ護衛尾鷲湾ニ假泊中一日仝地発第二日影丸ヲ合同横須賀ニ向フ一六三七敵潜探知爆雷攻撃セルモ効果不明/二日横須賀着/四日横須賀ヨリ横濱着横鎭長官ノ指揮ヲ解カレ二海護司令官指揮下ニ入リ第三二〇四船団ヲ護衛仝地発荒天ノ爲船団ヲ見失ヒ反転/五日船団合同館山湾假泊再ビ出港セルモ荒天ノ爲引返シ館山湾假泊/六日出港(船団 暁天丸外五隻護衛艦藤波澤風夏島)/十六日〇〇四五敵潜ヲ認メ爆雷攻撃ヲ爲スモ効果不明制圧中〇二三五5°0′N149°17′Eニ於テ暁天丸雷撃ヲ受ケ〇三三五沈没 船団ト分離人員物件収容潜水艦制圧中/十七日制圧ヲ止メ船団ニ追及セル頃一四一五敵艦爆六機來襲辰羽丸瑞海丸被爆沈没(7°41′N150°10′E)セリ 夕刻迄人員物件ヲ収容隆共丸ヲ護衛一三二五「トラツク」着
- ^ (2)中旬[15](略)十七日「トラツク」敵機動部隊ノ空襲アリ 27dg(時雨春雨)黎明出港礁内礁外ニ於テ敵艦爆四十五機ト交戰六機撃墜セルモ時雨ニモ相當ノ被害アリ「パラオ」ニ先行 春雨被害軽微「パラオ」ヘノ途中明石護衛ノ爲「メレヨン」ニ假泊/藤波船団護衛南下中十七日朝一隻雷撃ヲ受ケ沈没之ガ救助及敵潜制圧後船団ニ合同スルヤ敵艦爆六機ノ空襲ヲ受ケ二隻沈没一隻ヲ護衛「トラック」入泊二十日明石船団ヲ護衛「トラツク」発(略)藤波(三二〇四船団 明石船団) 〕
- ^ 藤波と隆興丸は18日にトラック泊地に辿り着いた[19]。
- ^ 相手の潜水艦は味方の伊号第六潜水艦である可能性が高い[36]。
- ^ サイパン島は6日に米軍により陥落した[38][39]。
- ^ 。ただし、Roscoe では未記載。Blair, 953ページでは、パイロットフィッシュのこの哨戒での戦果が "ZERO" となっている。#SS-386, USS PILOTFISHp.70,71,72 では、このときの雷撃で命中した魚雷はなかったとしている。
- ^ グレー大尉の記念碑は女川町地域医療センターの敷地内に設置されている[51]。
出典
- ^ 写真日本の軍艦7巻p.232「海防艦『占守型・擇捉型・御蔵型・鵜来型』行動年表 ◇天草◇」
- ^ 海防艦激闘記 2017, pp. 81–84占守型をほぼ踏襲した択捉型
- ^ 海防艦激闘記 2017, p. 229天草(あまくさ)
- ^ トラック大空襲 1987, pp. 146–149全速力の疾走〈― 水上機母艦「秋津洲」〉
- ^ トラック大空襲 1987, pp. 142–146惨澹たる死闘〈 三二〇六船団五隻 〉
- ^ a b c d #S1812二水戦日誌(4)p.5
- ^ a b 戦史叢書62 1973, pp. 572–573.
- ^ 戦史叢書06 1967, p. 203.
- ^ 戦史叢書06 1967, pp. 256–257第五十二師団主力の行動と第二梯団の遭難
- ^ 戦史叢書62 1973, p. 578.
- ^ a b #S1812二水戦日誌(4) p.47〔 十六(天候略)藤波三二〇四船団護衛中〇〇四五敵(潜水艦)ヲ発見爆雷攻撃ヲナスモ効果不明爾後制圧中〇二三五(8°0′N149°17′E)ニ於テ暁天丸雷撃ヲ受ケ沈没人員救助ヲナス 〕
- ^ トラック大空襲 1987, p. 144.
- ^ #喪失一覧(2) p.40〔 昭和19年2月(1944年)C|17|a|暁天丸|6,854|拿捕船|雷撃|8-00N 149-17E| 〕
- ^ 戦史叢書06 1967, pp. 254–256米機動部隊のトラック大空襲
- ^ #S1812二水戦日誌(4) pp.5-6
- ^ #喪失一覧(2) p.39〔 昭和19年2月(1944年)C|17|a|瑞海丸|2,812|東亜海運|空襲|トラック島附近| 〕
- ^ #喪失一覧(2) p.39〔 昭和19年2月(1944年)C|17|a|辰羽丸|5,784|辰馬汽船|空襲|トラック島附近| 〕
- ^ 辰羽丸受難の記録
- ^ #S1812二水戦日誌(4) p.48〔 十八(天候略)藤波一八〇〇「トラツク」着 〕
- ^ #喪失一覧(2) p.44〔 昭和19年3月(1944年)A|2|a|新京丸|5,286|大連汽船|雷撃|6-22N 148-27E| 〕
- ^ Cressman (1999) , p. 467.
- ^ 『東松四号船団部隊任務報告』、画像9枚目。
- ^ 駒宮(1987年)、p.157。
- ^ 戦史叢書46 1971, p. 365.
- ^ 戦史叢書46 1971, p. 367.
- ^ 佐藤、艦長たち 1993, p. 494.
- ^ 特攻船団戦記 1977, p. 122.
- ^ 戦史叢書46 1971, p. 369.
- ^ 特攻船団戦記 1977, p. 125.
- ^ a b c The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II
- ^ #S1906第七昭和丸日誌p.23
- ^ #S1906父島日誌(1)p.46
- ^ #S1906第七昭和丸日誌p.13
- ^ #喪失一覧(3) p.3〔 昭和19年6月(1944年)B|15|b|甘井子丸|4,804|大連汽船|雷撃|29-30N 141-07E| 〕
- ^ #S1906第七昭和丸日誌p.25
- ^ 外山操 『艦長たちの軍艦史』 光人社、2005年。
- ^ #S1906父島日誌(2)p.46
- ^ a b 戦史叢書45 1971, p. 86-89.
- ^ 戦史叢書102 1980, p. 241.
- ^ 戦史叢書102 1980, p. 243-244.
- ^ a b c 日本郵船戦時船史、p.825。
- ^ #SS-386, USS PILOTFISHp.73,74
- ^ #SS-234, USS KINGFISH, Part 2pp.98-99, pp.119-120
- ^ 海防艦激闘記 2017, p. 60.
- ^ 海防艦激闘記 2017, p. 73.
- ^ a b 海防艦激闘記 2017, p. 74.
- ^ 海防艦激闘記 2017, p. 74=.
- ^ 海防艦激闘記 2017, p. 75.
- ^ 海防艦激闘記 2017, pp. 63–65天草奮戦と米潜との一騎打ち
- ^ 変わりダネ軍艦奮闘記 2017, p. 37.
- ^ a b 女川湾で戦死 カナダ軍大尉を追悼 | 河北新報オンラインニュース[リンク切れ]
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第1240号 昭和18年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093800
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第1265号 昭和18年11月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072094500
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第1465号 昭和19年5月8日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072098100
- ^ 「海軍辞令公報(甲)第1731号 昭和20年2月26日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072103500
- ^ 「海軍辞令公報(甲)第1853号 昭和20年7月11日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072106100
- 1 天草 (海防艦)とは
- 2 天草 (海防艦)の概要
- 3 脚注
- 4 外部リンク
「天草 (海防艦)」の例文・使い方・用例・文例
- 天草砥という砥石
- 天草版という活字本
- 天草焼きという陶器
- 雲仙天草国立公園という,九州地方にある国立公園
- 天草という植物
- 天草という海草
- 心太という,天草を煮溶かして冷やし固めた食品
- ウミウシの一種であるメリベ・ジャポニカが,熊本県本(ほん)渡(ど)市の天草ドルフィンワールドで最近一般公開された。
- 相模(さがみ)湾と九州の天草の間の海域に生息するが,海流に乗って移動するため,めったに目撃されない。
- 天草ドルフィンワールドで公開されていたヤマトメリベは,6月に天草諸島の沖合で漁民によって捕獲された。
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