大河内山荘とは? わかりやすく解説

大河内山荘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/05 09:04 UTC 版)

大乗閣前庭

大河内山荘(おおこうちさんそう)は京都市右京区嵯峨にある日本庭園。時代劇などで知られる俳優大河内傳次郎が別荘として造営した回遊式庭園である。

沿革

昭和9年(1931年)、傳次郎34歳のとき、当時長期保存が難しかったフィルムに対し永く消えることのない美を追究するため自身で設計しこの庭の造営を始めた。映画出演料の大半を注ぎ込み64歳で亡くなるまで30年の歳月をかけてこつこつと作り上げたものである。 場所は小倉百人一首でも知られる小倉山の南東面、嵐山公園(亀山公園)に挟まれた約2万平方メートルの荒地であったところに位置している。

往年の著名な招待客

傳次郎の別荘であった当時は、高峰秀子片岡千恵蔵山田五十鈴京マチ子といった傳次郎の共演者たちが山荘に招かれている(『大河内山荘』写真集参照)。

庭園、建物

大乗閣
大乗閣前庭の回遊路
滴水庵と前庭
  • 庭園
    東の嵐山、遠くは比叡山、西の保津峡借景にした回遊式であり庭師広瀬利兵衛とともに造営を行った。
  • 中門(登録有形文化財)[1]
  • 大乗閣(登録有形文化財)[2]
    寝殿造、書院造、数寄屋造など日本の住宅の伝統的様式を合わせ取り入れた建物で傳次郎の構想に基づき数寄屋師の笛吹嘉一郎が施工した。
  • 持仏堂(登録有形文化財)[3]
    信仰の篤い傳次郎が座禅を行った所で山荘の初期の建物。
  • 滴水庵(登録有形文化財)[4]
    茶室
  • 月香亭
  • 大河内傳次郎資料館
    当たり役の丹下左膳姿の写真など大河内傳次郎の姿を伝える施設。

サービスその他

  • 傳次郎生誕100周年であった1998年には、大河内山荘の写真集が刊行され、山荘内の売店で販売されている。

所在地

交通アクセス

周辺

注釈

  1. ^ 大河内山荘中門」国指定文化財等データベース
  2. ^ 大河内山荘大乗閣」国指定文化財等データベース
  3. ^ 大河内山荘持仏堂」国指定文化財等データベース
  4. ^ 大河内山荘滴水庵」国指定文化財等データベース

大河内山荘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 14:13 UTC 版)

大河内傳次郎」の記事における「大河内山荘」の解説

大河内敬虔な仏教信者としても有名で、1931年昭和6年)に京都嵯峨小倉山向かい亀山山頂広壮な山荘置いた大河内広大な和式庭園を自ら設計し家続き寺院持仏堂」を建て、そこで教典ひもとき朝夕南無阿弥陀仏」を唱えてすごした東映時代劇など晩年多数脇役出演によって稼いだ多額ギャラは、その大半山荘造営注ぎ込まれたという。現在この山荘は大河内山荘として一般公開されている。彼の死後も、妻をはじめとする遺族山荘維持しており、傳次郎生誕100周年1998年平成10年)に刊行され山荘写真集は、未亡人捧げられている。 「大河内山荘」を参照 日活時代大河内自宅撮影所のすぐ傍ら竹藪にあり、撮影所内の人たちは大河内を「神様」と呼んでいた。「大河内をついたらえらいことになる」とのことから「カミサマ」と呼んだものらしい。大河内撮影中に気に入らないことがあると、プイと仕事をやめてこの亀山山荘閉じ籠ってしまった。稲垣浩がのちに本人にその理由聞くと、「聖徳太子自分政事や行い誤りがないかと夢殿籠って反省した聞いてます。私が山荘に行くのも、あそこで座禅組んで反省しているのです」と答えた山荘戦後本格的な建築改められたが、いちばん苦心したのは井戸だったという。高い山頂での掘削であるため、地下水脈に至るまで相当深く掘らなければならず、出来上がった井戸は石を投げ込んで七、八ツを数えなければがしないほどの深さだったという。鎌倉様式と室町様式混然としている大河内山荘は、出来上がったころはあまり評判良くなかったある日大河内常盤のあたりを散策していると、道端転がっている石地蔵見つけた立ち去りかねて野仏拾い上げた大河内表情気に入り、これを抱き上げ山荘持ち帰った。ところがこれを近在の子供が目撃して常盤村の人たちが大河内地蔵を返さねば訴えるとねじ込んできた。これに大河内平然と、「あの地蔵盗んだのでない、常盤散歩していたらあの地蔵様が“大河内大河内”と呼びとめなさった道端転んでいるお姿がとても傷わしく思われたので山荘ご案内して、大切におまつりしただけのこと。あなた方それほど大切な地蔵様であるなら、なぜおまつりなさらぬか。なぜ道端横倒しになっているのを起こして差し上げぬのか。草むら横たわった地蔵様を見つけたというのは霊の導き、縁あってのことでありましょう訴えなくとも戻せと言うなら戻しますが、その代り地蔵寺をたてて立派におまつりしてください」と答えて見せたこうした話し合い何度かあり、結局常盤村地蔵を大河内山荘に寄贈することで裁判沙汰にもならず決着したという[信頼性検証]。

※この「大河内山荘」の解説は、「大河内傳次郎」の解説の一部です。
「大河内山荘」を含む「大河内傳次郎」の記事については、「大河内傳次郎」の概要を参照ください。

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