大坂の銅座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 03:11 UTC 版)
大坂での銅の鋳造は大坂銅吹屋において行われていたが、その取引管理のため、1701年(元禄14年)に銀座の加役として銅座が設けられた。銅座役所は大坂高麗橋東一丁目両替町の大坂銀座に設けられた。1712年(正徳2年)に一度廃止されたが、1738年(元文3年)に両替町に再度銅座が設けられ、地売銅(国内向け銅)も管理の対象とした。1750年(寛延3年)に経営不振を理由として再度廃止されたが、1766年(明和3年)に北浜に三度銅座が設けられた。 現在、大阪市立銅座幼稚園が大阪市中央区内久宝寺町にあり、近隣に銅座公園がある。銅座の跡地(大阪市中央区今橋3丁目)には別に大阪市立愛珠幼稚園があり、園前に「銅座の跡」の碑が建立されている。なお、幼稚園の建物は1901年(明治34年)の建築で銅座そのものとは関係はない。
※この「大坂の銅座」の解説は、「銅座」の解説の一部です。
「大坂の銅座」を含む「銅座」の記事については、「銅座」の概要を参照ください。
- 大坂の銅座のページへのリンク