埼玉県北部へ進出と電鉄事業の進出
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「高崎水力電気」の記事における「埼玉県北部へ進出と電鉄事業の進出」の解説
児玉郡本庄町、大里郡深谷町、大里郡熊谷町近辺に進出を計画し1907年(明治40年)8月には距離67km電圧線、23,000Vの熊谷線を建設した。 発電所の増設と送電線設置のため1905年から1906年にかけて25万円の増資を実施し1907年10月には群馬馬車鉄道(高崎 - 渋川間資本金13万円)を買収しその電化を進めることで電鉄事業にも進出した。同線路の電化工事は1910年9月には完了した。電車運行の動力源としての電力を確保するため1910年1月に箱島水力電気を設立し吾妻川支流鳴沢川で箱島発電所(300kw)の建設にあたらせていた。同発電所は同年10月10日に運転を開始し1911年1月には箱島水力電気が高崎水力電気に合併された。拡大する需要に対応して1912年(大正元年)11月には出力1,000kwの厚田発電所も着手した。 1909年(明治42年)までは営業成績が好調であったが利根発電が開業した1910年(明治43年)ごろから前橋市で熾烈な価格競争が始まり開業以来の減収減益を出し高崎水力電気に大打撃となった。この競争は1911年(明治44年)2月に終息したが前橋市の営業区域を失うことになった(詳細は「利根発電」に記述)。この影響が大きく裏と出て1911年以降も営業成績は利根発電の開業前の水準に回復はしなかったが資本金利益率15%以上、配当率で12%を確保した。
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